通夜説教① 
平成27年5月 故・I様
 

人がお亡くなりになると、「享年●歳」と言います。“享”には‶いただいた〟という意味があります。と言うことは、享年86歳の故人様は、この人間世界に86年というお時間をいただき、生かされてきたということになります。それは故人様にとって、ご両親からいただいた86年であり、先祖代々のつながりによるいのちであります。そして、仏教の観点から申し上げるならば、お釈迦様からいただいたご縁であったということです。

故人様
はお友達が多い方でした。しかし、ここ数年は、仲の良かったお友達がお亡くなりになって、随分、落ち込んでいらっしゃったことをご遺族からお聞きしました。故人様と言えば、正直なお人柄が思い出されます。それは誰もが開口一番に認めるほどのものでした。心の中に思ったことは必ず言葉にされる方で、中には傷ついた方もいらっしゃったかもしれません。もしかしたら、色々なことを教えていただいたという方もいらっしゃるかもしれません。私は後者の人間です。

思えば住職を拝命したばかりの若かりし頃の私は、お寺をよくしていきたいという情熱が空回りしていたのでしょう。お寺をきれいに整備して、皆さんに喜んでいただこうと、雨漏りがひどかった本堂の屋根瓦全面葺き替え工事を執行しました。しかし、それは、お檀家さんと十分に協議することのないままに決定しておきながら、お力添えをお願いするという、あってはならない方法でした。今ならばお檀家さんと要相談の上、事を進めさせていただくのですが、若気の至りか、そうした手順を踏まずに先走ってしまった私に、檀信徒の日常生活やものの考え方、お寺に対する意識というものを丁寧にご教示くださったのが故人様でした。住職になって何ら実績もないのに、全てを悟ったかのような横柄な態度でお檀家さんに接していた私に反省を促す機会を与えてくださると共に、檀信徒と同じ目線で接する謙虚さが大切であることとを教えてくださったのです。この若き日の失敗や経験が今の自分につながっていることを思うとき、故人様は若き住職を育ててくださった素晴らしいお檀家様であったと只々、手を合わせるばかりです。

曹洞宗の開祖・道元禅師様が周囲の人々と関わる上で「愛語」で会話をすることをお示しになっています。これは相手を思いやって発する慈しみの言葉です。そういう言葉とは、言い方が穏やかで温かみのある言葉であると私たちは捉えがちです。しかし、そうした表面的にぬくもりにある言葉だけが愛語ではありません。場合によっては、厳しさや冷たさが心に突き刺さるような言葉でも、それによって、自身が目覚め、仏のお悟りに近づける言葉ならば、「愛語」となるのです。

【ここで、戒名のご説明をさせていただきましたが、個人情報保護等の観点から、掲載を省略させていただきます】

正直な愛語を以て私を導いてくださった故人様のおかげさまで今の私があることに感謝しながら、故人様のご供養を続けさせていただきたいと思っています。