第36回「調心A ―メンタルヘルスと坐禅―」


()し病有る時は、心を両趺上(りょうふじょう)に安じて坐す。心若し昏沈(こんちん)する時は、心を髪際(はっさい)眉間(みけん)に安ず。心若し散乱(さんらん)する時は、心を鼻端丹田(びたんたんでん)に安ず。


前回より「私たちの心の調え方」について触れられています。私たちの心は、周囲の様々な存在との関わりによって、変化するものです。さっきまでは快晴の青空のような状態だったのが、今は土砂降りのような状態になるというのは、誰にでも起こりうる心の変化です。

瑩山禅師様が「病有る時は」とおっしゃるのは、前回、触れられた「念息不調(ねんそくふちょう)の病」を意味していると捉えればよろしかと思います。これは「自分は坐禅という仏の修行を行じ続け続けるすごい人間なんだ」と言わんばかりに、自分を過大評価することです。こうした“勘違い”が起こったときには、「両趺上に安じて坐す」ようにと瑩山禅師様はおっしゃっています。「趺」は足のことで、ちょうど、坐禅をする際に手を「法界定印(ほっかいじょういん)」と言われる卵のような形にして安置しますが、それを意味しています。(「法界定印」はこちらをご覧ください)すなわち、「念息不調の病」を解決するのは、坐禅に他ならないということでしょう。

また、心が昏沈(気持ちが沈んでぼんやりすること)するときは、髪際(髪の毛の生え際)や眉間に神経を集中させるようにしてみると、心が安定する、さらに、心が乱れ、落ち着きがないような場合には、鼻端(鼻の先端)や丹田(ヘソの真下3pくらいのところにある腹のツボ)に神経を集中させるようにするのがよろしいと瑩山前禅師様はお示しになっています。丹田は一般的には、「気海丹田(きかいたんでん)」と言って、インターネットで調べてみましたところ、気の流れをスムーズにし、身心の調子を調え、元気にしてくれるツボとのことです。

こうした瑩山禅師様の坐禅による心の調え方に触れながら、瑩山禅師様の法力に敬服するばかりです。「メンタルヘルス(ストレスや悩みによる精神障害の予防)」という言葉を耳にするようになって久しいですが、瑩山禅師様は700年も昔、現代でいう「メンタルヘルス」を日常的な坐禅の実践によって、既にお示しになっていたのですから、改めて仏道修行の偉大さを感じずにはいられません。

ちなみに、心理学の世界では、メンタルヘルスに坐禅が効果的であるという見解があるそうです。坐禅中の呼吸(リズムのある呼吸)が神経伝達物質の一つであるセロトニンという物質を分泌し、活性化させるというのです、セロトニンはドーパミン(やる気に反応する物質で、分泌が続けば依存や過食につながる)やノルアドレナリン(ストレスに反応し、分泌が続くことで、パニック障害やうつを引き起こす)といった物質の暴走を抑え、バランスを取る役目を持つそうです。私たちの心の健康づくりに坐禅が効果的であることを、科学も証明しているのです。それを、瑩山禅師様という禅僧が日常的な坐禅の実践によって、こうしてお示しになっていることに、改めて、感動を覚えます。

坐禅は座布団一枚とやる気さえあれば、家庭の中でも取り組めます。どうか、朝の10分程度の時間でも構いませんので、坐禅をする時間を確保し、身心の安定を図り、一日をスタートさせる習慣を持ちたいものです。