第46回「瞋りの感情を調整する ―池袋自動車暴走事故に想うもの―」
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亦
―誰の中にでも存在している“毒蛇”・“黒蛇”のごとき「三毒煩悩」―今回より、その中の「
禅語コーナー第40回「
瞋りの感情の調整について、お釈迦様は「若し人あり来って節節に支解するとも、当に自ら心を摂めて瞋恨せしむること無かるべし。」とお示しになっています。「節節支解」というのは、自分の身体をバラバラにすることです。何者かが現れて、刃で危害を加えるようなことがあろうが、心を深く傷つけられるような暴言を吐かれようが、自分の心を調えて、冷静になるように努め、瞋りや恨みの感情を面に出さないようにしていこう」とお釈迦様はおっしゃるのです。「口を護るべし、悪言を出だすこと勿れ」は自分の発する言葉に留意し、暴言を吐かないようにというお示しです。
誰しもこうした「節節支解」の加害者にも被害者にもなった経験は大なり小なりあるかと思います。明らかに被害者に非があれば、加害者側の言い分に共感を覚えることもありますが、加害者が瞋りの炎を激しく燃やしながら攻撃してくるのを、被害者側が静かに受け止め、謝罪の言葉でも発するならば、いくら被害者側に非があったとしても、多くの人は被害者に共感するでしょう。なぜなら、いくら正論でも、大声で罵倒したり、暴力を働いたりする場面は人々に不快感しか与えないからです。そのことを押さえ、今一度、自分の瞋りの感情を点検し、感情のコントロールを意識していきたいものです。
こうした感情のコントロールに留意しながら、辛いであろう毎日を一生懸命に生きていることが伝わってくる方がいらっしゃいます。2019年(平成31年)4月19日に発生した「池袋自動車暴走事故」で突然、妻子を亡くされた松永拓也さんです。事故の当日、いつも通りに妻子に見送られて会社に出勤、昼休みにはスマホのテレビ電話で通話をしたという松永さん。その後、事故が起こり、その通話が最期になるなどと、誰が思ったことでしょうか。
我が身であり、分身とでもいうべき妻子を失った松永さんにとって、この事故は「人あり来って節節支解するとも」という状況だったことは想像に難くありません。しかし、松永さんは、お釈迦様の「心を摂めて瞋恨せしむること無し」そのものと言わんばかりに、瞋りも恨みも決して、面には出しません。精一杯、感情をコントロールし、お二人の死を無駄にしないように、そして、同じ悲しみや苦しみを経験する人が出ないようにと、実名で交通事故を減らす活動を続けていらっしゃるのです。
この事故では、多くの人が松永さんに共感し、加害者の厳罰化を強く望んでいます。その背景には、「心を摂めて瞋恨せしむること無し」を貫く被害者のお姿があるように思います。一番、感情を露わにしたいのは松永さんご自身ではないでしょうか。それを思うとき、松永さんの意思に沿い、亡くなった真菜さんと莉子ちゃんが願うものは何かに思いを馳せながら、この事故を忘れることないよう、自身の瞋りの感情と向き合っていく姿勢を