無我を悟る 

長生きを願っても、そう簡単に叶うことではない―

いつまでも若いままでいたいと願っても、「寄る年波には勝てぬ」と言うように、顔にしわがより、髪の毛に白いものが混じり、足腰が衰え始める。いつまでも若いままではいられない―

大病を患えば、明日はどうなるかわからない―

安全運転に配慮していても、対向車がセンターラインを割って来たり、後方から前方不注意の車両がぶつかってきたりすることもある。「3.11大震災」のような大地震や、熊本を襲った豪雨のような自然災害が起これば、またしかり―


私たちの人生は、まさに、「明日のない生き様」というように、いつ何が起こり、どうなるかわかりません。そればかりか、万事が自分の思い通りにこなせるわけでもありません。それを仏教では「無我」と申します。全てが無我であるから、「諸法無我(しょほうむが)」と言うのです。万事が自分の願いや都合を聞き入れることなく、時間の流れの中で変化していくことが「諸行無常」でした。この諸行無常の道理を、自分の問題として、また、我が身に引き起る現実として受け止めることができるようになれば、次第に諸法無我なることも体得できるようになっていくのです。無常を観じたら、無我を悟れるようになりたいものです。


朝、目を覚ましたら、「おはよう」の一言が発せられること―

三度の食事をいただき、日中は仕事など、何か自分がなすべきことがあるということ―

寝食共にできる空間があるということ―

一日を終え、「おやすみなさい」のあいさつができるということ―

決して、派手でもなければ、何か面白味があるわけでもない、ごく平凡な日常です。しかし、そんな“普通の暮らし”が送れることが、実は、何よりもの幸せなのです。無理して遠くに目標を求めなくとも、自分の身近なところに目標はあるのです。どうかそのことに気づくことができますように。