「一切皆苦」なることを受け止めて 

私たちは、時間との関わりの中で、老いの現実や病の苦しみを受け止め、最期は死という現実を受け止めなくてはなりません。また、私たちの周囲には、様々な人間がいます。同じ人間ではありますが、一人一人が性格も考え方も異なるように、自分と全く同じ人間など、誰一人としていません。それから、私たちは人間以外にも、モノや動植物、大自然などといった存在とも関わっています。そうした自分とは異種の存在と関わっていかなければならないが故に、万事が自分の思い通りにはいかないことも認めなくてはなりません。

こうして見ていくと、この人間世界は苦悩の絶えない世界であることに気づかされます。それが「一切皆苦」の意味するところです。大切なことは、私たちが「一切皆苦」という現実を冷静に受け止め、素直に認めながら、毎日を過ごしていくことです。

そうした苦悩尽きぬ現実を受け止めていくことが、「忍辱(にんにく)」です。「一切皆苦」なる現実を認めた上で、少しでも周囲と仲良く関わっていけるように心を働かせながら、言葉や行いを発していきたいものです。周囲と仲良く関わっていくには、相手も自分も安心できるようなものを施し合う姿勢が求められます。それを生涯に渡って心がけ、行じ続けていくうちに、仏に近づき、悟りが見えてくるようになっていくのです。

「一切皆苦」なる人間世界を生きていく上で、一つ押さえておきたいのは、お釈迦様がお示しになった「昼は勤心(ごんしん)善法(ぜんぽう)を修すべし」というみ教えです。これは、「昼間は自分が歩む道を忠実に歩むように」ということです。医師や看護師ならば、医学を通じて、患者の診察や看護に。教師ならば子どもの教育に。芸術家ならば芸術作品の制作に。仏道修行者ならば仏道修行に。それぞれがご縁をいただいて歩む我が道に対して、精を出して向き合っていくことが、「昼は勤心に善法を修すべし」に込められたお釈迦様の願いです。そうした道一筋に毎日を生きていくことによって、道が極まり、その道の人になっていくのです。

自分が一生懸命、道を歩むことが、人のためになり、社会に喜びを与えていきます。そんな私たち一人一人の「昼に勤心に善法を修する」姿が善き人間社会を作り上げていくということです。一切皆苦なる、“苦悩がつきものの人間世界”において、その現実を認めながら、道一筋に生きようとすることによって、苦悩が和らぎ、仏のお悟りに近づけることを押さえておきたいものです。