第17回 「(ひつぎ)の歴史を紐解く −釈尊時代の“入棺(にゅうかん)”− 

上来(じょうらい)諷経(ふぎん)する功徳(くどく)は、新帰元(戒名)に回向す。
伏して願くは、入棺(にゅうかん)(つい)で、報地(ほうち)荘厳(しょうごん)せんことを。

仏弟子となった故人様は「棺(ひつぎ)」という木箱に納められて読経供養(諷経)されます。これを「入棺諷経(にゅうかんふぎん)」と申します。 「棺」は「棺桶(かんおけ)」と呼ばれることが多いですが、それは日本において、棺の代わりに桶が使われていたことによるものです。

現代のような遺体を火葬する習慣がなかった頃というのは、土葬(どそう)といって、遺体を土中にそのまま葬ることが一般的でした。しかし、これでは、どうしても遺体が腐敗してしまい、動物に荒らされかねません。ですから、棺を使う必要性があったのです。

そうした棺の歴史は釈尊の時代まで遡ることができます。経典には、何重もの布で包まれた釈尊のご遺体が、香り高い油や白檀(びゃくだん)、きれいな宝石で満たされた金(もしくは鉄)の棺に納められていたことが確認できます。こうした遺体を布で丁重に包み、棺に入れるという風習のほとんどが、ごく限られた有力者(豪族など)の埋葬法だったそうです。

それが時代を経て、棺の使用が一般化してくるわけですが、いずれにしても棺にご遺体を安置することは、故人様を丁重にお送りするための大切な行いだといえるでしょう。まさに仏のみ教えに従った善行なのです。何も高級な棺を使えばいいということではありません。棺のランクに捉われず、棺にご遺体を安置して読経すること自体が大切なご供養だということを押さえておきたいものです。「上来、諷経する功徳は、新帰元(戒名)に回向す」とあるのは、「これまで諷経してきた功徳は、故人様に巡らされていく」ということです。次の「入棺の次で、報地を荘厳せんことを。」には、「入棺という、仏のみ教えに従った善き行いの結果として、故人様が仏の世界に到達できるように」という願いが込められています。すなわち、故人様の成仏を願うと共に、ご遺族も仏に近づく機縁として、入棺の場に身を置くことが求められるのです。

尚、一般的には、お通夜の前にご遺体を棺に入れる(納棺(のうかん))の儀が営まれますが、葬儀の場において、戒名等の仏弟子証明書を授かった故人様に対して、再度、入棺諷経が行われることによって、その善行がその場にいる全ての人に巡らされることを願うのです。