第6回「三宝帰依(さんぼうきえ) −仏の慧命(えみょう)嗣続(しぞく)するために―


次には(まさ)に仏法僧の三宝に帰依したてまつるべし。三宝に三種の功徳あり。
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わゆる一体三宝(いったいさんぼう)現前三宝(げんぜんさんぼう)住持三宝(じゅうじさんぼう)なり。


当HP「仏教講座」における“経典(お経に学ぶ)”の中で、修証義を研鑽させていただいておりますが、その第3章「受戒入位」第1回の中でもお示しさせていただいたように、懺悔(さんげ)(自らと向き合い、二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓い、実践すること)が十二分なまでに修行なされていなければ、次の段階として示されている「仏法僧の三宝への帰依」にはつながっていきません。すなわち、懺悔を抜きにした三宝帰依など成立しないのです。それが「次には応に仏法僧の三宝に帰依したてまつるべし」の意味するところです

それを今一度、確認した上で、今回の一句に入っていきたいと思います。まず、仏法僧の三宝に帰依するということについては、修証義第3章「受戒入位」の項を中心に、これまでも幾度となく味わってまいりました。仏(お釈迦様始めとする悟りを得た仏様)・法(お釈迦様のみ教え)・僧(法を修行し、今日まで伝えてきた多くの祖師方)に帰依(我が身を委ね、任せきること)です。

仏・法・僧の三者を「三宝」と申しますが、三宝には「三種の功徳」があると道元禅師様はおっしゃいます。それを下記の一覧表にまとめさせていただきました。それぞれについては、この後、道元禅師様が詳細にお示しになっていきますので、そこで改めて味わっていきたいと思います。

一体三宝(いったいさんぼう) 仏・法・僧と、各々名称も内容も異なるが、真理を三方面から見た場合の捉え方であり、三者が相互に関わり合って、一体になっているということ。
現前三宝(げんぜんさんぼう) 仏法僧の三宝は、いずれも現前(私たちの眼前に姿を現すこと)したものばかりで、三者とも私たちと関わりのある存在であるということ。
住持三宝(じゅうじさんぼう) 仏法僧の三宝は住持(仏に代わって法を説き、仏の慧命(えみょう)嗣続(しぞく)させる)存在であるということ。

こうした三宝の「三種の功徳」に触れてみますと、三宝帰依が私たちの人間性を磨いていく上で欠かせない行いであることに気づかされます。人間性を磨くとは、私たちが成仏(仏に近づくこと)であり、「仏の慧命を嗣続する」という使命を果たすということです。私たちの使命を考えていく上でも、「三宝帰依」は外すことのできない大切な行いなのです。