第1回 「懺悔(さんげ)の“次”に」


次には深く仏法僧(ぶっぽうそう)三宝(さんぼう)を敬い奉るべし


私たちは「今」という時間、「ここ」という場所に“いのち”をいただいて生かされている存在です。いのちはこの人間世界において、我々一人一人に与えられた時間です。そんないのちは人によって、長短の違いはあれども、どうやって生かしていくかを考えていくことは、我々に共通に与えられた課題です。

仏教では、その「人間としてどう生きていくか?」という問いに対する答えを、「少しでも生きる上での苦しみを和らげ、人間性を完成させていく(成仏(じょうぶつ))こと」だと説きます。すなわち、在家のものであっても、仏の世界に入って、戒(仏のみ教え)を受けて生きる出家者のように日々を過ごしていくことが勧められているのです。

“戒”とは、自発的に善を行なうことで、同時に悪をも断じる行いです。仏さまの弟子として生きていくならば、必ず身につけておくべきものだと言えるでしょう。そうした“戒”に関するみ教えが説かれるのが「第3章・授戒入位」なのですが、その前段階として、意識しておかなければならないのが、今回の一句です。

まず抑えておきたいのが“次には”という出だしです。何の変哲もない、一見、見逃してしまいそうな出だしかもしれませんが、“次”とは、いったい、何の“次”なんでしょうか・・・?ここは次から次へと流していくようなことだと思って読み進めてしまえば、肝心なものを掴み損ねてしまうでしょう。

“次”・・・それは「懺悔(さんげ)」の“次”ということです。つまり、“次”という一字には、前段の2章から続いているということを示しながら、2章で示された「懺悔」を日常の行としてしっかりと行うことを大前提とし、次のステップに進んでいこうということなのです。

その次のステップというのが、今回、記されている「仏法僧の三宝を敬い奉る」ということです。三宝を敬い奉ること(三宝帰依(さんぼうきえ))に関しては、
「儀式に学ぶ 第9回・三宝帰依」をご参照していただければと思いますが、三宝を自分の拠り所として、敬っていくことが、苦しみからの解放や成仏という人間の生きる課題を達成していく上での基本的姿勢であることが、これから説かれていくのです。


「懺悔したら、三宝に帰依する」―一つ一つのステップをしっかり踏んで、苦しみから逃れ、成仏を目指していきたいものです。