第10回「日本一のすし職人 ―“89歳のすし職人”から学ぶもの―

【お断り】本稿は、令和2年10月29日付北國新聞朝刊を引用させていただいております


15歳で「すし職人」を志し、東京や大阪で職人修業。ときには雨で濡れた土をシャリに見立て、寿司を握る練習をした若き修業時代。そして、89歳になられた今も、現場に立ち、寿司を握り続ける。その技たるや、「日本一のすし職人」と言わしめるほどの磨き抜かれた腕前。それでいて、「包丁人は謙虚でありたい」とおっしゃると共に、「常にチャレンジャーであり続けたい」ともおっしゃるお人柄。この度の第74回「北國文化賞」を受賞なさった「すし職人」・森田一夫氏(89)からは学ぶべきものが多々あります。

計らずも世間では、高齢ドライバーが引き起こしてしまった重大な交通事故等が大きく報道されたこともあってか、高齢者に対する眼は厳しいものがあります。そんな状況下、森田氏の北國文化賞受賞の背景にある約60年もの長きに亘るすし職人としての生き様は、私たちのお手本です。人間は、たとえ今は若くても、いつか年齢を重ね、老いを迎えます。いざ自分が老いを迎えたとき、どんなことを心がけながら日々を過ごしけばいいのでしょうか。その答えを森田氏はすし職人としての生き様を通じて、私たちに説いてくださっているような気がします。

先輩の教えを聞き、お客さんの所作や反応を見ながら、自分磨きを続けてきたという森田氏。「師の背中から学ぶ」ことを心がけ、謙虚に他者から学ぶ姿勢を貫いてこられたとのこと。今や、多くの弟子を抱え、弟子が師である森田氏の背中を追うことが多いはずなのですが、森田氏も弟子たちから刺激を受けるとのこと。日本の小説家である吉川英治氏(1892−1962)が「われ以外みなわが師」という名言を遺されましたが、相手が自分より年齢が若いとか、経験が浅いからと決めつけて見下すような態度を取ったり、相手が自分より年上で、経験も豊富だからと言って、媚びへつらってみたりするといった、相手によって態度を変えるのではなく、誰に対しても「我が師」であるかのように謙虚に接し、穏やかに関わっていくことが大切であることを森田氏から教えていただいたように思います。

「すしは作り手と食べる人の紡ぎあいである。」とおっしゃる森田氏。それゆえ、森田氏は「すしは、シャリにただ魚を乗せればよいわけではない。作り手の心が入り、食べる人の幸せな表情を作り手が感じ取って、進化していく。」とおっしゃっています。「ただシャリに魚を乗せればいいというのではない」という一言に、60年近くすし職人の道を歩んでこられた森田氏の職人魂を感じ、胸が熱くなるのを覚えました。すしは食べれば2.3口で終わるものかもしれません。しかし、そんなすしには、ネタひとつ取ってみても、森田氏がこらしてきた様々な工夫、挑戦、そして、何よりもすしをいただく客に喜びを提供したいと願う菩薩の心が、食べれば2.3口の小さなすしの中にぎっしりと詰まっていることを教えていただいたとき、再び、胸が熱くなると共に、これが職人の生き様であることを再認識させていただきました。

シャリ、ネタ、お客さん。自らが歩む道に関わる全ての存在に気を配り、大切にしていくのが、森田氏のようなプロの職人なのでしょう。それを思うとき、私たち自身も、普段から自分の関わる人であれ、モノであれ、関わる仕事などのご縁であれ、一つ一つを大切に扱っていく姿勢を持つように努めていきたいものです。それはあたかも仏教徒が仏法僧の三宝に帰依するがごとく、自分の宝物を大切にしていくがごとく、周囲と関わっていく姿勢を持つということなのです。