第64回「遠離 -クマにご用心!?―」
当に
悟りを得た仏(
「遠離」については、以前、「今月の法話」のコーナーにて取り扱わせていただきました。詳しくはこちらをご覧いただければと思いますが、日頃、周囲の存在と関わっていく中で、自分を混乱させ、三毒煩悩を発生させるようなものと出会ったときに、そこから一旦距離を取り、自分の身心を穏やかに調えてから、再び、周囲のとの関わりの中に戻っていくことが「遠離」の指し示すところです。
「遠離」のみ教えを味わっていく前に、本文に出てくる言葉を見ておきます。「寂静」とは「涅槃」のことで、一切の迷いや妄想から離れた心穏やかなる境地を意味します。「無為」は様々な執着から離れた自由無碍の状態です。また、「憒閙」は心が乱れ、騒々しい様を言い表し、「閑居」はそうした乱雑な場から距離を置いて心静かに過ごすことです。
私たちの周りを見渡してみると、人や動物、事件や事故等の出来事など、自分の身心を混乱させてくる存在が多々あることに気づかされます。たとえば、最近の注目度の高い出来事の一つである「クマの出没による人的被害の問題」がそうです。石川県内では山間の福祉施設の職員さんがクマの被害を受け、大けがをなさいました。最近は野良犬や野良猫など、街中で野生動物を見る機会も少なくなったこともあり、野生動物を見慣れていない我々現代人にとって、尚更、クマに出逢ったときの衝撃や混乱は想像を絶するもののような気がします。もし、私自身の目の前にクマが現れたならば、冷静さを保つ自信はありません。だからこそ、クマへの注意喚起が必要になると共に、自分がクマに出逢ったときの対処法も普段から考えておく必要があると思います。たとえば、必要がなければ、クマの出やすい山間には近づかない、行く必要があるときは、鈴など、高音を発して、クマを近づけないようにする道具を持参するなどの対策を取ることが大切です。こうした対策を取ることが「遠離」なのです。
クマを始め、自分の身心をかき乱す存在に対して、自分の身心を静寂に調えてから関わることが「遠離」なのですが、以前、十数年、福祉職の現場に奉職している知人のY氏が「どんなときも相手と静かに話し合うことが大切だ」とおっしゃいました。この言葉をお聞きしたとき、私は「遠離」のみ教えを思い起こすと共に、どちらかと言えば、感情的になって周囲と関わってきた自分自身を反省させていただきました。それ以降、つとめて冷静な言葉や態度を心がけていますが、それを教えてくれた自分よりも若いY氏には只々、感謝するばかりです。ふっと日本の小説家・吉川英治氏(1892-1962)名言・「会う人、出会うもの、すべて我が師なり。」が思い出されますが、日常生活の中には、至る所にお釈迦様のお悟りやみ教えが存在しています。それを見つけ出す眼を養い、自分に苦悩が訪れたとき、救いを求められるようになりたいものです。