「不殺生 -仏のいのちを殺さずに、生かす- 

今回は「仏の慧命を嗣続する」ということについて、「不殺生」の観点から考えてみたいと思います。

「不殺生」とは、「殺生をしない」ということです。すなわち、いのちを殺さずに生かすということです。連日のように、どこかで誰かが人の尊いいのちを奪う事件が発生しますが、残念で悲しむべきことです。

しかし、不殺生の対象となるのは人間だけではありません。たった一匹の虫であれ、一輪の花であれ、そこにいのちの存在を認め、殺さずに生かしていくことも不殺生です。それらも含め、お釈迦様がお示しになっている不殺生とは、「仏のいのちを殺さずに、生かすこと」なのです。私たちが毎日、仏のみ教えに従うことなく、感情の赴くがままに言葉や言動を発しているとすれば、仏のいのちは生かされることなく、殺されることでしょう。そうではなく、お釈迦様のみ教えに従い、自分の言葉や態度を調えながら日々を過ごすことで、仏のいのちは生かされていくのです。それが「不殺生」における最も目指すべきところなのです。こうやって見ていきますと、「不殺生」は、まさに「仏の慧命を嗣続する」ことに通ずることに気づかされます。

私共の曹洞宗という宗派は坐禅の宗派ですが、禅僧が姿勢を調え、心静かに坐禅を行ずるが如く、自分の身心を調えながら毎日を過ごすことが「仏の慧命を嗣続する」ことです。他にもあります。たとえば、年回忌にご先祖さまの供養を通じて、敬意を表することもそうです。また、開山忌に際し、ご開山様以来続くお寺や携わってきた方々に思いを馳せ、その歴史や伽藍を護持していくこともそうです。

ということは、お寺の長い歴史の中で伽藍再建や復興に携わるご縁をいただいた当代の方丈様や檀信徒の方々がなさった本堂や庫院の再建というのは、まさに仏のいのちを生かす「不殺生」であり、「仏の慧命を嗣続する」という尊い行いであったということなのです。

そんな「仏の慧命を嗣続する」ということについて、次回は「成仏」の観点からも考えてみたいと思います。
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