第9回「住持三宝(じゅうじさんぼう) −いのちいただきし者の“使命”として−

天上(てんじょう)()し、人間を化するに、
或は虚空(こくう)に現れ、或は塵中(じんちゅう)に現れたもうは、乃ち仏宝、
或は海蔵(かいぞう)に転じ、或は貝葉(ばいよう)に転じて、物を化し生を化するは、是れ法宝、
一切の苦しみを(わた)し、三界の(すまい)(まぬが)れしむるは、乃ち僧宝なり。
是れを住持三宝(じゅうじさんぼう)と名づく。


今回は「住持三宝」という側面からの三宝について触れられています。本文を味わっていく前に、「住持三宝」について触れておきたいと思います。

「住持」については、修証義第3章・第23回「住職の使命」の中でも触れています。私たち人間の使命を戒律の観点から申し上げるならば、「仏の慧命を嗣続する」ことに他なりません。その使命を果たすべく、私たち一人一人が、お釈迦様(悟りを得た仏)のみ教えに従って、身心を調えていくことによって、仏のいのちが殺されることなく生かされ、次世代にも伝わっていくのです。

そうした「住持」の手本たる存在が、「住職」です。住持とは住職のことでもありますが、住職は宗教法人の代表者であり、お寺を仏様に代わってお預かりする立場の者です。だからこそ、誰よりも「仏の慧命を嗣続すること」に生きる日常を送っるべきであり、そんな使命に生きる住職こそが、世間の人々の帰依を受けるに値する存在なのです。

そうした「仏の慧命を嗣続する」ことによって、天上界であろうが、人間界であろうが、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・天上・人間)の中のどんな世界であっても、仏のみ教えが浸透し、そのいのちが生かされていくのです。それが「虚空に現れ、塵中に現れたもう」の意味するところであり、「仏宝」と位置付けられる所以です。

次に「海蔵に転じ、貝葉に転ずる」とあります。そうやって「物を化し生を化する」とあるように、人でもモノでも、この世に存在するいのちが救われるのであり、だからこそ、「法宝」であると道元禅師様はおっしゃるのですが、その理由となるのが、「海蔵」であり、「貝葉」です。「海蔵」は「仏法」です。すなわち、一切のものを含む大海のような存在です。そして、「貝葉」は、古代インドにおいて文字を書写するのに用いた長くて広い葉っぱのことです。古代インドでは、当初はお釈迦様のみ教えは、言葉によって記憶され、伝授されていたそうですが、そのうち、筆録によって伝授されるようになっていったそうです。それが仏法の繁栄や仏の慧命の嗣続に絶大なる効果をもたらしたのは言うまでもありません。

そうした筆録に欠かせないのが貝葉です。貝葉に仏法が記され、経典として保存され、後世に伝えられていきました。まさに、海蔵たる膨大な仏法が、貝葉の存在によって、嗣続され、今日に至っているのです。だから、海蔵はもちろん、貝葉もまた「法宝」なのです。

そして、道元禅師様は僧が「一切の苦しみを度し、三界の宅を脱かれしむる」ゆえに「僧宝」であるとお示しになっています。僧が人々の苦悩を救ってきたことは、これまで幾度も申し上げてまいりましたので、「三界の宅を脱かれる」という点について、下記の一覧表を参考にしながら、確認しておきたいと思います。

欲界(よっかい) 欲望が存在する世界(六道界のすべて)
色界(しきかい) 肉体が存在する世界。自分の行いによって、それに応じた結果が生ずる世界
無色界(むしきかい) 肉体が消滅し、精神のみが存在する世界。三毒煩悩が滅した状態。

こうした「三界」の分別を離れ、悟りを得た仏様のように、自らが有する三毒煩悩が調整できるようになるのは僧のおかげであり、それが「僧宝」たる所以です。

どこにいても、どんな状況にあっても、仏のみ教えに従っていけば、仏の慧命が嗣続され、あらゆるいのちが救われていくという意味での「仏宝」、筆録によって膨大な量の仏の慧命を今日まで生かし続けてきた「法宝」、そして、自らを仏に近づけてくれるがゆえの「僧宝」。仏法僧の各々が、その役割を存分に発揮しながら、仏の慧命が嗣続されてきていることを「住持三宝」と言うのです。

そして、今、この人間世界にご縁をいただいて生かされている一人として、「住持三宝」の毎日を心がけていけたらと願うのです。