第61回「仏道の基本 ―坐禅是レ第一-

如来(にょらい)端坐(たんざ)少林(しょうりん)面壁打成一片(めんぺきたじょういっぺん)にして、(すべ)多事無(たじな)し。
石霜枯木
(せきそうこぼく)
()し、太白坐睡(たはくざすい)を責む、
焼香、礼拝、念佛、修懺(しゅさん)看経持課(かんぎんじか)を用いず、只管打坐(しかんたざ)して始めて得んと。


「如来の端坐」とは、仏教誕生のきっかけともなった「お釈迦様が35歳の12月8日にお悟りを得た坐禅」を指します。また、「少林の面壁」というのは、「インドから海を渡って中国に禅をお伝えになった達磨大師(だるまだいし)様(生年諸説あり)が中国の少林寺において、ただひたすらに坐禅修行のみに我が身を投じた」ことを意味しています。達磨大師様の坐禅は自分の目に入る一切の情報を遮断して、外界の出来事に執着することがないよう、壁に向かってなされたことから「面壁(めんぺき)」といい、曹洞宗門の坐禅では、この「面壁」が、そのまま相承され、今も実践されています。

そうしたお釈迦様始め、そのみ教えを相承してきた祖師方の坐禅は、「打成一片」であり、「都て多事無し」であったと瑩山禅師様はお示しになっています。「打成一片」とは、「一つに成りきる」ことです。我が身と坐禅という仏行が一体化し、仏と成り、悟りを実現している様を意味しています。そこには、坐禅以外の行は何も存在せず、まさに「多事無し」なのです。

こうした「打成一片」や「多事無し」と同じことを示しているのが、「石霜枯木」や「太白坐睡」です。石霜慶諸(せきそうけいしょ)(807-888)は約20年近くに渡って石霜山において、ひたすら修行僧と共に坐禅修行に打ち込んだ方で、眠くなっても、横になることなく無心になって坐禅を行じたお姿が、まるで枯木のように不動であったことから、人々は「枯木衆(こぼくしゅ)」と称しました。こうした石霜禅師の生き様を指し示すのが「石霜枯木に擬す」です。

次の「太白坐睡」は道元禅師様の師・天童如浄(てんどうにょじょう)禅師様(1162—1227)の坐禅修行に関するものです。太白は如浄禅師が住職をお勤めになり、禅風を宣揚していた「天童山・景徳寺(けいとくじ)」がある「太白山」のことです。そこでの如浄禅師様の仏道修行は普勧坐禅儀・第27回「坐禅とハラスメント」にてご紹介させていただいたことがあります。修行僧たちに対して、仏とご縁をいただいた時間を居眠りをするなどして無駄に浪費することなく、ひたすらに坐禅に励んでほしいという願いを込めて、「愛のムチ」を振るいながら関わってきたのが、如浄禅師様という方です。

試しに道元禅師様が会下の修行僧たちにお話になったことを高弟の弧雲懐弉(こうんえじょう)禅師様がまとめられた「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」を紐解いてみますと、「学道の最要は坐禅是レ第一なり。大宋の人多く得道する事、皆坐禅の力なり」というみ教えはじめ、仏道修行者にとって、何よりも坐禅が第一であり、坐禅を根底に置いて、日常の諸事が生み出されていくことに気づかされます。「焼香、礼拝、念佛、修懺(仏に我が罪を懺悔すること)、看経持課(毎日の日課として経文を読むこと)」といった行も、日々の坐禅修行を基本に据えたものでなくてはならず、これらが主になるような形であったり、坐禅を抜きにした焼香や礼拝、仏法僧の三宝への帰依がない念仏や修懺、看経持課は仏の行とは言えないというのが、「只管打坐して始めて得ん」の中で瑩山禅師様がお示しになろうとしたことのように感じます。

仏道修行者にとって、日々の坐禅が基本であることを今一度、確認させていただき、坐禅を第一として仏の道を歩んでまいりたいものです。