第11回「明庵栄西(みょうあんえいさい)禅師に学ぶ“仏の生き様”」

日本における臨済宗の開祖で、喫茶の習慣を伝え、道元禅師様始めとする後世に生きた多くの禅僧たちにも影響を与えたのが、明庵栄西(みょうあんえいさい)禅師(1141年−1215年)です。栄西禅師は1203年、源頼朝の願いを受けて、日本で最初の禅院となる建仁寺(けんにんじ)(臨済宗建仁寺派本山、京都五山の一つ)を建立なさいました。今日は、そんな栄西禅師様が建仁寺にいらっしゃったときのエピソードをご紹介させていただきます。

ある日、建仁寺に妻子を抱え、今にも餓死せんと言わんばかりの男がやって来て、栄西禅師様に救いを求めました。生憎、建仁寺には食物や物品等、男に与える物がありませんでした。「絶煙数日(ぜつえんすじつ)に及び、夫婦子息両三人餓死しなんとす。」と男が口にするほどの一大事に、何とか救いの手を差し伸べたいと願った栄西禅師様は、薬師如来像を作るのに、光背部として使うつもりでいた銅があることを思い出し、それを男に差し上げたのです。

そのことを知った弟子たちは、栄西禅師の行いが「仏物己用(ぶつもつこよう)の罪(仏に供養したものを他に流用すれば、盗みを犯した罪と同じことになるということ)」であると言って、栄西禅師様を非難しました。

栄西禅師様はそんな弟子たちの言葉は正しいと認めた上で、おっしゃいました。

「仏様のお心を考えてみると、目の前で餓死しようとしている者がいたら、我が身を割いてでも、救いを施すであろう。そうなると、私の行いは仏の心に叶うだろう。もし私が仏物己用の罪で罰せられるならば、やむを得ない。そうなっても目の前で苦しむ衆生を救いたい。」

この栄西禅師様のお言葉をどのように捉えるべきでしょうか。

後に、道元禅師様はご自分のお弟子様たちに、このエピソードを紹介し、「先達(せんだち)心中(しんぢゅう)のたけ、今の学人も思うべし、忘るる事なかれ。」とおっしゃっていることが、高弟・弧雲懐弉(こうんえじょう)禅師様がまとめられた「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」の中に記されています。これは「栄西禅師様の行いを“仏道に深く入った先人の行い”と捉えた上で、“その心の高さを、今の仏道を学ぶ我々もよく考えて、忘れてはならない”」とお示しになっているのです。

私たちが日々の生活をどうやって生きていけばいいのかを問うとき、仏教では「仏のみ教えに従って生きる」ことが大切であると説きます。これは具体的にはどういうことなのでしょう。それは「仏法を興し、いのちあるものに利益(りやく)を与えるべく、身を捨て、命を捨てて、様々なことを行うことである」と道元禅師様はお示しになっています。すなわち、栄西禅師様が眼前で飢餓で苦しむ男に仏像の材料として準備してあった銅を施して救ったように、いのちあるものに対して、ときには我が身を施すまでしても、救いの手を差し伸べんとする言動を提示することが、「仏のみ教えに従って生きる」ということなのです。

眼前に話を聞いてほしいと願う者が現れれば、相手の心が落ち着くまで、ひたすら耳を傾けて聞けばよい。手を貸してほしと願う者が眼前にいれば、手を貸してあげればよい。永遠に聞くとか、自分の用事を後回しにして、いつまでも手を差し伸べ続けることが求められているのではないのです。相手が救いを求めてくる“ほんの一瞬”に、手を差し伸べようという心を起こして、行動に移すのが、仏道を生きるということなのです。

栄西禅師様という仏道修行者の生き様に触れながら、周囲に存在する全てのいのちに目を向け、相手を尊重し、穏やかな言動が提示できるような人間になれるよう、我が身を磨いていきたいものです。