第11回「
日本における臨済宗の開祖で、喫茶の習慣を伝え、道元禅師様始めとする後世に生きた多くの禅僧たちにも影響を与えたのが、
ある日、建仁寺に妻子を抱え、今にも餓死せんと言わんばかりの男がやって来て、栄西禅師様に救いを求めました。生憎、建仁寺には食物や物品等、男に与える物がありませんでした。「
そのことを知った弟子たちは、栄西禅師の行いが「
栄西禅師様はそんな弟子たちの言葉は正しいと認めた上で、おっしゃいました。
「仏様のお心を考えてみると、目の前で餓死しようとしている者がいたら、我が身を割いてでも、救いを施すであろう。そうなると、私の行いは仏の心に叶うだろう。もし私が仏物己用の罪で罰せられるならば、やむを得ない。そうなっても目の前で苦しむ衆生を救いたい。」
この栄西禅師様のお言葉をどのように捉えるべきでしょうか。
後に、道元禅師様はご自分のお弟子様たちに、このエピソードを紹介し、「
私たちが日々の生活をどうやって生きていけばいいのかを問うとき、仏教では「仏のみ教えに従って生きる」ことが大切であると説きます。これは具体的にはどういうことなのでしょう。それは「仏法を興し、いのちあるものに
眼前に話を聞いてほしいと願う者が現れれば、相手の心が落ち着くまで、ひたすら耳を傾けて聞けばよい。手を貸してほしと願う者が眼前にいれば、手を貸してあげればよい。永遠に聞くとか、自分の用事を後回しにして、いつまでも手を差し伸べ続けることが求められているのではないのです。相手が救いを求めてくる“ほんの一瞬”に、手を差し伸べようという心を起こして、行動に移すのが、仏道を生きるということなのです。
栄西禅師様という仏道修行者の生き様に触れながら、周囲に存在する全てのいのちに目を向け、相手を尊重し、穏やかな言動が提示できるような人間になれるよう、我が身を磨いていきたいものです。