第4回「葬儀 −その意義、その歴史−


通夜が「故人を偲び、仏法とのご縁を深める場」であるとするならば、葬儀は「故人を仏界にお送りし、仏縁を育む機会」であると住職は捉えています。そして、この定義づけを葬祭における主目的として、ご遺族や参詣者にもわかりやすく、儀式や故人様に対して、感情を移入しやすくできるようにしていくことが、一葬祭執行者としての私の役目であると考えております。

目まぐるしく移り変わる現代社会の中で、葬祭も社会の変化を受けながら、今日まで続けられてきました。たとえば、自宅や菩提寺で営まれていた儀式が葬儀社の会館で営まれるようになったり、「家族葬」や「樹木葬」という新たな形態の葬儀が登場したりしました。

そもそも、葬儀の歴史を紐解いてみますと、葬儀には、「四葬」と申しまして、「火葬」・「土葬」・「水葬」・「林葬」の四種類があります。仏教の発祥の地であるインドでは、「火葬」が採用されていたそうですが、後に、その仏教が中国や日本に伝わった際、火葬の他に、「土葬」も採用されました。これは、ご遺体を土の中に埋めて葬る方法で、その背景には、儒教の影響があったようです。近年は火葬が一般化し、土葬を禁じる自治体もありますが、平成23年に発生した「3.11大震災」の際、被災地では、火葬場が追い付かず、ご遺族の許可の下、土葬が執行されたという事例もあります。

ちなみに、日本における火葬は、700年に法相宗の僧侶で、日本で初めて中国から禅の思想を持ち帰って来たと伝えられる道昭様(629−700)の火葬が始まりと言われております。道昭様は弟子に命じて、ご自分の遺体を火葬させたと言われています。その約600年後に曹洞宗の開祖となる道元禅師様が道昭様と同じく中国から禅のみ教えを学び、福井県に永平寺をお開きになって、曹洞宗の歴史が始まるわけですが、このときは、現行のような葬儀方法というのは、まだ存在していなかったようで、禅林(寺院)の縁故者に対してのみ営まれる程度だったそうです。それが次第に社会からの要請で、葬儀の執行が一般化していきました。その際、禅林で縁故者の葬儀に用いられていた葬儀法を踏襲しながら、時代の流れの中で、多少の修正も加えつつ、今に至るようです。

こうした葬儀の歴史を振り返る中で、大切なことは、葬儀が「遺族(社会)の要望に応じて営まれてきた」ということです。注意しておきたいのは、社会からのリクエストによって、葬儀の場が設けられてきたということであり、その作法等は多少の変更はあっても、葬祭者が好き勝手に変更したのではなく、古来からの仏のみ教えに従って、そのまま営まれてきたということです。ですから、葬祭執行者が「現代は短時間の葬儀が求められる」などと勝手な判断をして、オリジナルの葬儀を行うことが求められているわけではありません。あくまで、社会(施主家)の要望を加味しながら、古来から伝わる葬祭法を崩すことなく、人々が仏縁を育む場として、葬儀という機会を提供していくのが、葬祭執行者の役目であるということです。

そうした曹洞宗の葬儀について、次回より儀式進行中における各所作の意味や内容をできるだけわかりやすく解説していきます。現行の葬儀に要する時間は、およそ40分程度ですが、この間における各々の所作の意味が見えてくることで、儀式に感情を移入し、「仏縁を育む」という目的の達成に近づけると信じております。