第90回「お釈迦様の“
衆中皆悉
※ヌは「少」の下に「兎」
お釈迦様の高弟のお一人であるアヌルッダが師に代わって、衆中(その場にいる者たち)に発した言葉は、師と「
代弁というのは、簡単そうに見えるかもしれませんが、決して、そういうものではありません。相手が何を思い、何を感じているのか、そうした相手の心の中というものは、完全に見えるものではないので、全てを理解するのは不可能です。たとえ、相手との付き合いも長く、その人柄や性格が理解できているからといっても、それは、こちら側の勝手な思い込みでしかない場合もあり得るでしょう。
しかしながら、完全に理解できなくても、ある程度までは理解することはできます。少なくとも、お釈迦様とアヌルッダ始めとする十大弟子のように、常日頃から、相手のことを思いながら大切に関わり、共に行動している者同士ならば、可能なはずです。それを証明しているのが、今回の一句における「衆中皆悉く四聖諦の義を了達す」です。これは、アヌルッダが衆中の様子を注意深く伺いながら、「その場にいる者たちは皆、四聖諦(苦・集・滅・道)という、この世の道理を了達(しっかりと体得すること)できている」というメッセージをお釈迦様に発したということなのです。ここには、アヌルッダが師の心情に思いを馳せながら、師に仏法がしっかりと浸透している釈尊教団の人々の成長したお姿をお見せして、安心していただこうとするアヌルッダの師に対する最後の願いが垣間見えます。
お釈迦様もまた、そんなアヌルッダのお気持ちを十分にお察しになっていました。この場面は、もし、自分もその場にいて、目の当たりにしていたならば、感動の涙を流す瞬間でありましょう。そんな高弟・アヌルッダの温情に師・釈尊は最期の力を振り絞って、「大悲心を以て」最期の最期の説法をなさろうとするのです。「大衆をして皆堅固なることを得せしめんと欲して」とあるように、「その場にいる者の心をさらに強固なものにして、確実に安心を覚えていただけるように」との願いを込めて―。
このときの釈尊の心情を指し示すお言葉が「大悲心」です。これは「偉大なる慈悲」であり、「人々の苦悩を確実に救い上げることを強く決意したお心」とも申し上げるべきもので、まさに「