“菩薩様”のように生きる 
彼岸(ひがん)此岸(しがん)が“(ひとつ)”になる—

“あおり運転”や“パワハラ”など、近年ほど暴言や暴力に対して、世間が敏感になっている時代はなかったような気がします。こうした人々を脅かし、恐怖を与えるような言動に対して、世間の目が益々、厳しくなっていく中で、現代社会に生かされている我々は自分の身心を調え、穏やかな言動を心がけていくことが、いつの時代にも増して求められています。そして、我々一人一人が、そうした日常を心がけていくことは、世界中の人々の幸せと安寧を願って行動することにつながっていくのです。

そんな願いを持って日常を生きる仏様が「菩薩様」です。私たちの周りには、観世音菩薩様(観音様)や地蔵菩薩様(お地蔵様)など、数多の菩薩様がいらっしゃいますが、仏のお悟りを求めながら、周囲の人々の苦悩に目を向け、救いの手を差し伸べてくださるのが、菩薩様です。そんな菩薩様を見習いながら、「菩薩のように生きていく」ということが、今の私たちに求められているのです。

菩薩様が周囲のいのちに救いの手を差し伸べることは、あたかも悩める人々を大きな川の向こうにある仏の世界へと案内していくようなものです。自分たちが生かされている川のこちら岸を「此岸」というのに対して、仏の世界である川の向こうを「彼岸」と申します。此岸において、彼岸み教えを実践するのが菩薩様であり、私たちの目指すべき生き方であるというのです。

そのことに気づき、意識的に「彼岸」のみ教えに生きていくとき、ハッと気づかされる瞬間が訪れるでしょう。それは、今までは、此岸と彼岸を分け隔てる大きな川があると思い込んでいましたが、実は、そんな川など、元々、存在していなかったということです。川は此岸に生かされている私たちが勝手に生み出してしまった妄想の産物であり、本当は此岸も彼岸もない、一体となった仏の世界なのです。“今”、私たちが生かされている“ここ”という場所において、私たちが此岸と彼岸を“(ひとつ)”にしていくことを心がけていく中で、ここが彼岸であることに気づかされるのです。それに気づくことができれば、川の存在など、そのことを知らぬ者が作り上げてしまったものでしかないことに気づかされることでしょう。

そのことを踏まえて、今という時間、ここという場所において、此岸と彼岸が“(ひとつ)”になることを意識して、菩薩様のごとき生き方を目指していただくことを願うばかりです。
 【おわり】