まわりのいのちと関わる上で
前回、お釈迦様のお悟りとは「自分が周囲の様々ないのちと関わり合い、支え合って生かされているのに気づくこと」であり、坐禅はそれを体得する仏行であるというお話をさせていただきました。
そのことを踏まえ、坐禅の用心を働かせながら毎日を過ごすとき、何に留意していけばいいのでしょうか。下記の2点を提示させていただきます。
(1)三毒煩悩(貪り・瞋り・愚かさ)を調整する
三毒煩悩は生きている限り、完全になくすことはできません。なくなるのは、我々とこの世とのご縁が切れ、あの世に旅立ったときです。我々が生きるということは、なくすことのできない厄介な三毒煩悩とどのように向き合っていけばいいかということであり、その方法をお示しくださっているのがお釈迦様なのです。
三毒煩悩が自分の中に発生してしまったら、言葉や行いにして表に出さないように、自分の中で調整していくというのが、お釈迦様のお示しです。そして、そうした行いが周囲のいのちに心を配り、安心感を与える「坐禅の用心を働かせる」ということなのです。
(2)周囲に平等に関わる
周囲の存在に対して、好きなものは大切にし、苦手と感じるものは自分から遠ざけようとしてしまう私たち。そうした異なった関わり方が差別につながっていくことは言うまでもありません。
ここで、坐禅の用心を働かせ、好悪の区別を生じさせないよう、皆に安心感を持ってもらうことを意識していくならば、平等な関わり方ができるようになっていくのです。
「清水本表裏無く、虚空終に内外なし」(「坐禅用心記」 著:瑩山禅師様)
大自然を滔々と流れる水には表も裏もなく、どこまでも純一平等である。虚空(私たちが住む世界)も本来は内も外もない。大自然の水に表裏を作り、自分たちの住む世界に内と外を作り出しているのは私たちであり、それらは私たちの妄想の産物なのです。
こうした本来の姿を押さえ、周囲に対して、自分の好みで差をつけず、平等な関わり方を目指していきたいものです。
【第4回に続く】
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