第5回「(あまね)有情(うじょう)飽満(ほうまん)を願って −“SDGs”と“甘露門”−

(ねがわ)くは汝各々。我(なんじかっかくわ)()(じき)を受けて転じ()って
尽虚空界
(じんこくうかい)
諸仏及聖。一切(しょぶつぎゅうしょういっさい)有情(うじょう)に供養して、
(なんじ)
と有情と(あまね)皆飽満(みなぼうまん)せんことを。

悲愍(ひみん)」という心遣いを意識して毎日を過ごすということは、周囲に目を向け、周囲に心を配りながら、言動を発していくことでした。こうした生き方を心がけていくならば、「自分さえ救われればいい」という考え方は否定されていくことでしょう。と言うよりはむしろ、そうした考え方を持っていることに、恥ずかしさを覚えるのではないかという気さえします。自分だけが満たされることを願うのではなく、「汝と有情と普く皆飽満せんことを。」とあるように、普く全てのいのちが救われ、“(じき)”たる仏法をいただいて満たされることを願うのが、「甘露門」です。今一度、“皆”を意味する“普く”に重点を置き、周囲の普くいのち(有情)に目を向けていくことを意識しながら、「甘露門」を読み味わっていきたいものです。

こうした「汝と有情と普く皆飽満せんことを。」を願い、「悲愍」の心遣いを以て生きていく上で、もう一点、大切なことは、“転じ将って”という視点を併せ持つことです。これは自分だけが抱え込んだり、独り占めしたりするのではなく、どんどん周囲に施し、与えていこうという視点です。

我々の日常生活に目を向ければ、毎日、様々な出来事が起こりますが、喜びも苦しみも皆で分かち合っていくならば、お互いに支え合い、助け合っていけるのは言うまでもありません。特に、空腹の苦しみを満たす食のごとき仏法は、自分だけがいただいて、自分さえ救われればいいというものではありません。それでは皆が幸せになることができないばかりか、周囲との支え合いや助け合いなどにもつながっていくはずがありません。普くいのちを救い、喜びを与え、身心に安心(あんじん)をもたらすものならば、どんどん「転じ将って」、周囲に施していくことで、人虚空界(この世の全体)がよくなっていくことを再確認し、日々の生活の中で心がけていきたいところです。そして、そうした心がけを以て、毎日を過ごすことが、悟りを得た仏の生き方であることをも、併せて、確認しておきたいものです。

近年、「SDGs」という言葉を耳にする機会が増えてきました。「持続可能な開発目標」を謳う「SDGs」は今や、企業や学校での子どもたちの教育の場でも取り上げられるようになりました。我が曹洞宗でも例外ではなく、昨年度から「曹洞宗布教教化方針」にも掲げられるようになりました(詳しくはこちらをご覧ください)。

2015年(平成27年)の国連サミットにおいて、全会一致で採択された「SDGs」が掲げる17個の目標に共通するものは、「甘露門」において幾度も登場する“普く”です。すなわち、「甘露門」を始めとする仏教のみ教えと、誰一人として取り残すことなく救い上げるという、現代社会が推奨する全世界的な取り組みたる「SDGs」の目標が合致していることを、私たちは知っておくべきなのです。

「甘露門」が指し示すお釈迦様のみ教えと共に日々を過ごすことは、「SDGs」が掲げる目標と共に生きていくことにもつながります。私たちが現代社会に生かされている人間の一人として「SDGs」を意識しながら、普く有情の飽満を願って、毎日を過ごしていきたいものです。