第13回「金沢の偉人@ −ジャーナリスト・桐生悠々(きりゅうゆうゆう)の名言に潜む仏のみ教え−

−「言いたい事と、言わねばならない事とは厳に区別すべきである」−
これは石川県出身のジャーナリスト・桐生悠々(きりゅうゆうゆう)氏(1873−1941)の名言です。旧加賀藩士の三男として生まれ、旧制第四高等学校(きゅうせいだいしこうとうがっこう)四高(しこう)、1950年閉校、金沢大学法文学部・理学部の前進)で同学の徳田秋声(とくだしゅうせい)氏(1872−1943、金沢の三文豪(さんぶんごう)の一人)と共に小説家を目指して四高を退学。上京するも、志半ばにして失敗し、帰郷、後にジャーナリストとしての道を歩みました。

明治の終わり頃から昭和初期にかけて、反戦・反権力の言論を展開した悠々氏の生き様は、近代日本を支えた金沢ゆかりの偉人たちの業績を紹介する「金沢ふるさと偉人館」にて、先の名言と共に紹介されています。

それにしても、この名言は心にズシリと響くものがあり、考えさせられます。「言いたい事」と「言わねばならない事」、一体、どれだけの人が使い分けながら日常生活を送っているでしょうか−?金沢ふるさと偉人館に展示されている悠々氏の名言を前に、私は今まで、言いたい事ばかりを口にする割には、言わなくてはならないこと(言いにくいこと)に対しては口をつぐみ、避けたい現実から逃げることばかり考えてきた自分の姿に気づかされ、大いに反省させていただきました。

過去を振り返ってみると、トラブルはできるだけ避けたいからと言って、表面的な和合を保つべく、言わなくてはならないことがあっても、言わずに貯め込んでしまったがために、状況が一層、悪い方向に向かってしまったことがありました。逆に、言葉にして発すれば、多くの人が不快感を覚えたり、傷ついたりするようなものを使ってしまい、場の雰囲気を乱してしまったこともありました。状況をよくよく観察した上で、今は何を言わなくてはならないのかをよくよく考えてから言葉を提示していくことを習慣づけていくことの大切さを悠々氏の名言から学ばせていただいたような気がします。

そうした十分に考えてから言動を提示することの大切さを曹洞宗の開祖・道元禅師様もお示しになっています。一日の終わりに、道元禅師様が会下の修行僧たちにお示しになったことが筆録されている「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんそうずいもんき)」を紐解くと、「三覆(みたびかへさふ)して後に云へ。」というお示しがあります。「言葉を発するときも、行動に移すときも、十分に考えてから提示するように」とのことです。すなわち、この言葉や行動は仏のみ教えに叶っているかどうか、また、それらを発することによって、周囲に利益(りやく)を与えるかどうか、よくよく考えることが大切であるということなのです。「三覆する」というのは、「三回行う」ということではなく、「何度も何度も」ということです。

こうした道元禅師様がお示しになっていることを一つのポイントとして押さえた上で、「言いたい事」ではなく、「言わねばならない事」を口にして、自分の周囲に利益を廻らしていけるようになりたいものです。