第24回「大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼-“大法楼閣”を目指して-」
曩莫。薩羅嚩。多他蘗多南。唵。尾補羅。蘗羅陛。麼抳鉢羅陛。
多佗多尼多捨寧。麼尼麼尼。蘇鉢羅陛。尾麼黎娑蘗羅。儼鼻レイ(※1)。
吽吽入縛羅。入縛羅。没駄。尾廬枳帝。麌ギ(※2)夜。地瑟恥多蘗羅陛。
娑縛訶。唵麼尼縛日哩吽。唵麼尼駄哩。吽泮タ(※3)
(※1)レイは「口」に「隷」
(※2)ギは「口」に「四」
(※3)タは「口」に「乇」
今回の真言は曹洞宗の葬儀においてもお唱えされます(詳しくはこちらをご覧ください)。真言では、菩提心を発し、仏のみ教えによって、しっかりと身心を調えることができたならば、「大宝楼閣(仏のお悟りを意味する高い建物)」に登り詰めることができるということが説かれます。大法楼閣は深遠なるみ教え(秘密)に満ちた善住(善なる場所)であり、そこを目指して、日々、仏のみ教えに従いながら、我が身心を調えていくことを甘露門始めとする仏教の各種経典は説きます。言ってみるならば、「大法楼閣」は我々凡夫にとって目指すべき場所だということなのです。
ここで気をつけておきたいのは、あくまで「大法楼閣」は仏のお悟りの世界であって、何かに比して上下があるということを言っているのではないということです。確かに我々が過ごす娑婆世界には、比較があり、上下や良し悪しといった概念が存在します。
しかし、仏教の世界では、そうした対立概念に捉われることなく、対立を超えて、それぞれの存在が有する絶対の価値に着目します。すなわち、何事にもそれ自体が有する価値があり、そこに着目し、認め、受け止めていくのが仏教の立場なのです。こうした視点を持つことができるならば、私たちは随分と視野が拡がり、心穏やかに過ごすことができるようになっていくのです。
その点に留意しながら、自分自身を調えていく仏の世界である「大法楼閣」を目指して、日々を過ごしていきたいものです。