一、
第1回「
右、菩提心とは、
唯
然
大本山永平寺開祖・道元禅師様が仏道を歩んでいく上で、最初に掲げていらっしゃる重要なポイントは「菩提心を
「菩提心」とは、「
そんな菩提心を発すことを、「修証義」では「
それに対して、「学道用心集」では、道元禅師様は「菩提心とは世間の生滅無常を観ずることでもある」とお示しになっています。そして、この見解が竜樹祖師のみ教えによるものであるとおっしゃっています。竜樹祖師は、またの名を
そんな竜樹祖師がお示しになっている「菩提心を発す」というのが、「無常を観ずることである」という点に着目し、内容を味わってみたいと思います。菩提心は「多名一心」とあるように、様々な呼び名がある一方で、その目指すもの(心)は一方向のものであると道元禅師様はおっしゃっています。それが「無常を観ずる」という方向性だというのです。
「無常」というのは、「常が無い」とあるように、万事が変化していくことを意味しています。なぜ、万事は変化してくのでしょうか―それは、この世には時間という存在があり、それと関わっているからに他ならないからです。
1月8日から10日にかけて、各地で成人式が営まれました。成人式では20年前に生まれたいのちが健やかに成長し、大人の仲間入りを果たしたことをお祝いするわけですが、こうした変化は喜ばしいものであります。ところが、成人したいのちは、次第に老いていき、病を抱え、最期には死を迎えます。こうした変化を多くの人は忌み嫌うかもしれませんが、これも私たちに必ず訪れる現実です。
大切なことは、こうした現実に対して、表面的な良し悪しに捉われ、一喜一憂するのではなく、どんな変化も我が事として認め、受け止めていく姿勢を持つことです。そうした捉え方ができるようになることは、物事を正しく受け止められるようになることであり、そういうところから菩提心が芽生えていくのです。
こうした無常という道理・現実を我が事ととして認めながら生きてこられたのがお釈迦様始めとする仏教の祖師方です。そもそもお釈迦様のお悟りというのは、万事が関わり合い、支え合って存在しているという「
そうやって私たちの中に存在していた菩提心が露わになっていくと共に、佛へと近づいていくのです。それゆえに、道元禅師様は無常を観じて菩提心を発すことをお勧めになっていることもまた、押さえておきたいものです。