第14回「金沢の偉人A ―禅に生きた偉人・鈴木大拙(すずきだいせつ)西田幾多郎(にしだきたろう)―ご生誕150年にちなみ―

―世界的な仏教学者で、「東洋の賢者」と称えられる鈴木大拙(すずきだいせつ)(1870−1966)。「西田哲学」を打ち立てた日本を代表する哲学者・西田幾多郎(にしだきたろう)(1870−1945)。日本を代表する道の人であり、石川県出身の偉人として著名なお二人の生誕150年を記念して、新作オペラ「禅 〜ZEN〜」の金沢公演が来る1月23日(日)、金沢歌劇座にて開催されます。

旧制第四高等学校(きゅうせいだいしこうとうがっこう)(略称:四高(しこう) 現・金沢大学)に学んだ旧知の仲のお二人。大拙氏は四高を退学し、上京して、東京専門学校(現・早稲田大学の源流)や帝国大学(現・東京大学前身)に学ぶ中で、臨済宗円覚寺派本山・鎌倉五山第二位の円覚寺・釈宗演(しゃくそうえん)禅師(1860−1919)らに参じ、坐禅の日常的な実践及び禅の研究へと没頭していきます。ちなみに、大拙という名は釈禅師からいただいた居士号で、本名は貞太郎とのことです。

そんな大拙氏の影響を受けて、禅の世界に身を投じたのが幾多郎氏でした。氏は金沢の卯辰山(うたつやま)の麓にあった草庵・洗心庵(せんしんあん)に足を運んで、参禅に励まれたとのことです。現・石川県かほく市(西田幾多郎記念哲学館がある)の豪家に生まれた幾多郎氏ですが、幼少期から姉弟との死別等の苦難を体験なさったことで、思索に耽ることが多かったとのことで、そんな実体験が哲学の道へと進んでいったようです。

そんなお二人が共に坐禅の世界に身を投じられていたという事実は、非常に興味深いものです。そもそも、禅の世界というのは、曹洞宗の開祖・道元禅師様が「無所得無所悟(むしょとくむしょご)の坐禅」とお指しになったように、「何も得ることも悟ることもない」世界に他なりません。一体、どういうことか―?それは坐禅に対して、自分勝手な期待や願望によって作り上げてしまった視点で捉われていたのでは、いつまで経っても真実に辿り着くことができないということを意味しているのです。たとえば、大拙氏や幾多郎氏のような優れた人間になり、一挙に世間の名誉を我が手中に収めたいと願って坐禅をしても、思うように願いが叶わないということなのです。坐禅は自分の願望を叶え、欲求を満たすためのものではありません。坐禅を行することそのものが、尊き仏の行いなのです。それなのに、何をそれ以上のことを期待し、求める必要があるのでしょうか―?「無所得無所悟の」坐禅」ということに合点がいくのです。

実際に坐禅をやってみると、次第に姿勢を調えることによって、心の中が穏やかになり、整然と調ってくるような感覚を覚えます。そうした坐禅を、一切の個人的な考え方や理屈を抜きにして、“只々、やって、やって、やり続けていく”中で、自然と人間性が調っていくのです。そうやって、禅の世界とのご縁を深めながら、自分自身が歩んでいる仏教なり哲学の道を究められたのが、鈴木大拙であり、西田幾多郎なのです。そのことを、しっかりと押さえ、ご生誕150年の節目に際し、祝意を以て、その生き様を見習っていきたいものです。