第1回 山本昌選手の言葉 
―コロナ禍を生きていく上で―
先日、野球の殿堂入りが決まった元中日ドラゴンズの山本昌選手がこんなことをおっしゃっていました。
―「行き詰っても、がんばっていれば何とかなる。努力を止めたときが終わりである。」―本当にその通りだと思います。

コロナ禍と呼ばれる状況は、発生から2年たった今も変わることなく、最近は「オミクロン株」なる新種の変異株の登場によって、第六波とも言うべき状況となっております。病床ひっ迫の医療機関に商売にならない飲食業界と、コロナの影響を言い出せば、まさに「枚挙に暇がない」という言葉がピッタリです。こうした状況下で、お寺も法要の縮小中止といった対応を取らざるを得なくなりました。

そんな中、当初は、これまで時間的余裕のなさから、手をつけたくてもつけられずにいた地元・金沢の学習に力を入れ、「金沢検定初級」に挑戦してみたり、新聞にじっくりと目を通すことを習慣づけたりと、新しいことにも挑戦してみました。

こうしたことにトライするのもいいことだとは思いますが、結局のところ、25歳のときから自分なりにコツコツと歩んできた曹洞宗の布教の道に立ち返っている自分がいました。やはり、長年にわたって築き上げてきた命綱とも言うべきものは、コロナだからと言って、簡単に捨てたり、諦めたりできるものではありません。山本昌選手のお言葉ではありませんが、どんな状況下にあっても、自分がやってきたことを、自分のできる範囲でコツコツと続けていくことが大切であることを再確認できた2年間であったような気がいたします。

コロナ禍を受けて、従来の対面式による“話す布教”という形態が絶望的な状況にある今、“書く布教”という形態にシフトしつつある今日この頃です。当HPには「仏教講座」というコーナーがあり、「般若心経」や「修証義」といった、曹洞宗で読誦されることが多い経典を取り上げ、一節ずつ解説を試みております。コロナ禍の中、この「仏教講座」を、できるだけ毎日更新していくことを心がけてきた2年間でもありましたが、先日、H寺の檀信徒様から「仏教講座を見ています。これからも続けてください」という励ましの温かいお言葉をいただき、とてもうれしく思いました。どんな状況下でも続けることが大切であるということを、この方からも教えていただいたと感謝しております。

「観音様」の「観」には、一つの物事を「広く見渡す」とか、「深く見通す」という意味があります。そうした見方でコロナ禍を観ていったときに、私たちにはマイナスの印象が強いコロナであることは確かなのですが、ほんの一つまみ程度の善い面なりプラスの部分もあるのではないかという気がします。私の場合、コロナ禍だったからこそ出会えたご縁なり、巡り合えた新しい世界がありました。これからも当面は続くであろうコロナ禍を生きていく上で、観が指し示す捉え方を以て、諦めずに、できる範囲でできることをやり続けていく姿勢を大切にしていきたいものです。   【第2回へ】