第2回 修証義生誕の背景 ―明治期の仏教界、その危機と復活― |
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仏教の原点はお釈迦様のお悟りです。お釈迦様は今から約2600年前の12月8日の明け方、坐禅をしながら悟りを得たと伝わっております。 ところで、お釈迦様のお悟りとは何だったのでしょうか−? それが「 そうした縁起の世界に、私たちはご両親様から先祖代々伝わるいのちをいただき、生かされています。「縁起の世界において、どう生きて、どう死を迎えるのか?」―それを指し示している経典の一つが「修証義」です。 そもそも修証義は1890年(明治23年)、曹洞宗の大本山永平寺・ 明治時代は約260年に渡る徳川政権が終焉を迎え、新しい思想を有した明治政府よる新しい政策が展開されていった時代です。(下記一覧表参照)
江戸幕府によって手厚く保護されていた仏教界も、明治政府が展開していった方針によって、神道重視による仏教軽視や権利のはく奪等、今まで経験したことのない危機的状況に瀕することになりました。こうした動きに対して、反発の意を表明したのが、浄土真宗の学僧・ こうした動きに対して、旧習を見直し、新しい時代における仏教の姿を追求・実現しようとした改革の動きもありました。その最前線にいた人物が こうした仏教界の動きを受けた明治政府は比較的早い段階で、方針転換を余儀なくされ、仏教は再び、世間の日の目を浴びることができました。まさに“華麗なる復活”といったところでしょう。 そうした大内青巒氏が遺された「洞上在家修証義」を、後に両大本山の禅師様が関係各位の意見も参考にしながら、吟味・編纂され、1890年、いよいよ修証義は世の中に発布されていくのです。 【第3回へ】 |