第2回 聞くべし、見るべし 
―感染症と共に生きていく上で―
ハンセン病が神仏を敬わないものに下される仏罰だという思想がまん延していた時代、この日本国に曹洞宗という宗派の種を植えられた開祖・道元禅師様は、会下の修行僧に仏法をお示しになっていました。その中の一つが、演題にもある「聞くべし、見るべし(正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき) 1-5)」です。

【本文】
古人云(こじんいわ)ク、「聞くべし、見るべし。」ト。また云ク、「()ずんば見るべし、見ずんばきくべし。」ト。


【解釈】
古人は「耳で聞きなさい、目で見なさい。」また、「実際に経験していなければ、目で見なさい。目で見ていないならば耳で聞きなさい。」と言っている。


毎日、様々な出来事がありますが、そうした日常の諸事について、人の言葉を鵜吞みにするのではなく、自分の目や耳で確かめ、自分の経験として捉えていく姿勢を持つことが、いかに大切かを道元禅師様はお示しになっています。

では、「聞くべし」と言いますが、どんな聞き方をすればいいのでしょうか?「見るべし」とありますが、どんなモノの見方が求められるのでしょうか。

そのヒントとなるのが「八正道(はっしょうどう)」という仏教のみ教えです。「八つの正しい道」ということですが、この正しいというのは一見、簡単そうに見えて、その実、奥深く難しいものであります。なぜならば、正しさというのは、それぞれの立場や考え方によって一定ではないからです。何が正しいのかと問われれば、一言で回答しづらく、色々な正しさがあるものなのです。

そうした正しさというものを、仏教の観点から申し上げるならば、仏のみ教えに従っていると捉えることができるでしょう。すなわち、八正道は八つの仏道ということになります。

正しさというものを、もう少し深く考えるべく、去る七月二十四日の北國新聞朝刊・地鳴りに掲載された石川県内の中学生女子が書いた「キャッシュレスほどほどに」という文章がとても参考になります。次回、第3回にてご紹介させていただきます。 【第3回へ】