第1回 永光寺開創に見る「布施」行 
高源院のご本寺は永光寺(ようこうじ)様(石川県羽咋市(はくいし)酒井町)です。永光寺様は1313年(正和2年)、太祖瑩山(たいそけいざん)禅師様が草庵を築き、その歴史が始まりました。以降、諸堂が建立・整備され、今日に至りますが、瑩山禅師様が永光寺在住期間中の記録や置文が収録されている「洞谷忌(とうこくき)」によれば、1312年(正和元年)・春に海野三郎滋野信直(うんのさぶろうしげののぶなお)夫妻が山林一帯をご寄進なさったことを受けて、永光寺様が誕生したとのことです。ちなみに海野氏の奥様は後に瑩山禅師様の下で出家・得度なさって、黙譜祖忍尼(もくふそにんに)を名乗り、瑩山禅師様が永光寺敷地内に女人救済を目的として建立された円通院の初代住職をおつとめになっています。

「洞谷忌」には、海野夫妻が、この永光寺がそびえ立つ山林一帯をご寄進なさったときに発せられたお言葉が遺されています。
●「私たちはただ、ほんの一時期でもいいから、この山に住まいをしていただくことだけを望みます。」
●「瑩山様が山を出て、荒れ地になろうが、別の者に差し上げようが、構いません。」
●「瑩山様が仏道修行を止め、道から外れるようなことをなさっても構いません。」

一度、瑩山禅師様に差し上げた地なのだから、自分たちは、その後のことには一切、口出しをしないし、再び自分たちのものにしようとも思わないということを発せられた海野夫妻。こうした夫妻の思いに感銘を受けた瑩山禅師様は、この山林を自らの終焉の地とし、生涯に渡る安楽の地、仏道修行の場とすることお誓いになりました。

こうした施者と受者の清浄なるやり取りによって、永光寺は誕生しました。このやり取りこそ、永平寺開祖・道元禅師様がお示しになっている「布施」の行いそのものです。次回は「布施」について、道元禅師様のみ教えに触れながら、参究してまいりたいと思います。    【第2回へ】