第2回 その布施といふは 
-施者と受者が清浄になる関わり-

「その布施といふは不貪(ふとん)なり 不貪といふはむさぼらざるなり。むさぼらずといふはよのなかにいふへつらはざるなり」(正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)より)

「お布施」という言葉が世の中には存在しますが、これは僧侶に仏事供養をしていただいた際に支払う謝礼という意味で使われています。ところが、この言葉の本来の意味が謝礼ではないことは、正法眼蔵・菩提薩埵四摂法に示された道元禅師様のお言葉からも一目瞭然です。

私たちの周囲には人やモノ、大自然など、様々な存在(いのち)があります。私たちは、それらの存在と関わり合い、支え合って、生かされています。そうした周囲の存在に対して、たとえば、モノを貪らないことであったり、人に対して媚びへつらわないことであったりすることが「布施」であると道元禅師様はおっしゃっています。すなわち、私たちが周囲の存在に対して自分の好き嫌いや良し悪しといった主観的な感覚に捉われ、相手に対する関わり方を変えるような差別的な態度を取るのではなく、相手が誰であろうが関係なく、皆が喜び、皆が心穏やかになり、皆が仏のお悟りに近づけるような行いを施し合っていくことが「布施」だというのです。

前回の海野三郎重野信直夫妻(うんのさぶろうしげののぶなお)は大きな山林に対して、自分たちの執着を一切捨てて、何ら見返りを求めることなく瑩山禅師様に喜捨なさいました。これぞ、まさにむさぼらざるなりが指し示す仏の行いです。また、瑩山禅師様は、夫婦の願いに対して、生涯にわたる仏道修行を近い、仏の道一筋に生き、永光寺にて最期を迎えました。こうした施しをする側(施者)と施しを受ける側(受者)の双方が共に救われ、共に仏に近づけるような行いを施し合うことを心がけながら、私たちも周囲の存在と清浄になる関わりを心がけていきたいものです。
    【おわり】