第15回「“吾我(ごが)”を離れた7期28年に学ぶもの」

1994年(平成6年)の石川県知事選にて初当選。以来、2022年(令和4年)3月の任期満了までの7期28年間、石川県知事として、県政の手綱を引っ張ってこられた谷本正憲前知事。2020年(令和2年)3月、新型コロナウイルスがまん延し始めた頃に発した言葉が物議を醸し出したこともありましたが、北陸新幹線開業や金沢港クルーズターミナルの整備、金沢城の復元に国立工芸館の誘致と、その成果・功績を数え上げれば枚挙に暇がありません。7月に名誉県民に選ばれ、北國文化賞を受賞なさったことも頷けます。

そもそも谷本前知事は兵庫県のご出身で、1991年(平成3年)に石川県副知事として着任したご縁で、県知事として石川県の発展に寄与することになりました。石川県に来てほんの2、3年という短い期間で知事就任に相なったゆえに、谷本前知事は石川県ゆかりの経済人に石川県の個性や強みをお聞きしては、県のことを学んで行かれたそうです。ある大手企業の社長さんは「石川県と言えば、加賀前田家から続く豊かな文化ですよ」とおっしゃいました。また、別の方は「進取の気性に富んだものづくり企業の多さ」とお答えになったそうです。

こうした前向きかつ肯定的な回答とは裏腹に「石川県は遠隔の地である」とおっしゃる方も大勢いらっしゃったとのこと。「そんな後ろ向きで否定的なイメージを払拭しなければ、石川県は発展しない!」―そう思ったことが原動力となり、時間距離の短縮を目指す陸海空の交通基盤整備(北陸新幹線・能登空港・金沢港クルーズターミナルの整備)へとつながっていったようです。また、加賀藩から続く文化や歴史の更なる強化・発展を願う気持ちは、ご自身が「平成の大築城」と自負する金沢城の復元始め、玉泉院丸庭園の完成、国立工芸館の移転誘致へとつながっていきました。こうして28年という期間で、石川県は大きく変化し、発展を遂げました。それも前知事の石川県に生きる方々の耳障りのよいプラスの言葉も、耳に痛いマイナスの言葉も関係なく、全て受け止め、自らの政策に反映させてきたことが、今の石川県を生み出したように思います。

―「学道はすべからく吾我(ごが)をはなるべし」― (「正法眼蔵随聞記」より)
曹洞宗の開祖・道元禅師様のお言葉です。「吾我」は「自分」のことです。「学仏道という、仏道修行者が自らにいただいた道を歩んでいく中で、自分を最優先していては仏道は歩めず、ついには仏に成ることもできない。仏道のために自分というものを捨てて道を歩むことが大切である」―道元禅師様はそのように仏道修行者の心得をお示しになります。石川県の県政に携わり、その発展に貢献してきた谷本前知事の7期28年は、まさに「吾我を離れた」仏道修行者のごときものであったと思わずにはいられません。

自分だけが喜ぶことを目指して仕事をしたところで、いつまで経っても、自分が本気で喜べるときは訪れません。しかし、周囲が喜ぶことを願って汗を流していれば、必ずや歓喜の声や笑顔が生じてくるはずです。そして、それが必死で汗を流して働いた者の心を穏やかにし、笑顔をもたらしていくのです。我々も自分たちが歩む道において、相手のため、地域のため、社会のため、「吾我」なるものは捨て去り、前に進んでいきたいものです。谷本正憲前知事のように。