第25回「首章・頌古 一枝秀出(いっししゅうしゅつ)老梅樹(ろうばいじゅ)

【拈提】山僧(さんぞう)()此一則下(このいっそくか)卑語(ひご)を着けんことを思う。
諸人聞かんと要すや。

【頌古】一枝秀出(いっししゅうしゅつ)老梅樹(ろうばいじゅ)荊棘(けいきょく)、時と与に築著(ちくじゃく)し来る。

「伝光録」における「首章」もいよいよ、最終箇所に入りました。第1回でも触れさせていただきましたが、瑩山禅師様は仏教の開祖であるお釈迦様のみ教え・お悟りが、釈尊成道後、どのような形で師から弟子へと伝わっていったかを一定のスタイルを以て、提示なさっています。今回の「頌古(じゅこ)」は祖師方の古則に対して、偈や詩を用いながら簡潔に宗意を示したもので、この後に続くどの章も最後は瑩山禅師様の偈頌によって締めくくられています。

まず「首章」の「拈提」における最終部分となる「山僧、亦た此一則下に卑語を着けんことを思う。諸人聞かんと要すや」に触れておきます。瑩山禅師様は「山僧(仏道修行の身である僧侶)」と謙遜して自称しながら、諸人(会下の修行僧)に卑語(これまで述べてきたお釈迦様のお悟りに関する自らの見解を謙虚な姿勢で評する言葉)を以て、自らの提唱を締めくくることをお伝えしています。「聞かんと要すや」―最後に皆さんの耳をお借りしたいという謙遜の意を込めたお言葉には、師と弟子と言った、一見、どちらかが上で、どちらかが下といった表面的な上下関係があるように見えますが、実はそんな小さな関係性など超越した同じ仏道修行者として、共に仏の道を歩んでいこうとする姿勢が感じられます。これぞまさに師と弟子が“(ひとつ)”に融け合った「同事(どうじ)」であり、禅の修行道場というのは、こうした同事の空気感が常に漂う場でなくてはならないことを再確認させられます。

―「一枝秀出す老梅樹、荊棘、時と与に築著し来る。」―
初めは小さくて若々しかった梅の木も、長い長い時を経て成長を遂げ、やがては老いて「老梅樹」となっていくわけですが、枯れていくだけのいのちに見えた老木に、ほんのわずかの枝が顔を出している様が「一枝秀出す老梅樹」から思い浮かべられます。この一枝には、決して、いのちが尽きようとしている老木の姿を表しているのではありません。老いながらも新しいいのちが息づき、これから先も生きていこうと必死にいのちの脈を打ち続けている姿が表現されているのです。

お釈迦様は三十歳臘月八日に坐禅修行によって成道なさったとのことですが、それは、まさに老木に生じた若々しくて、未来のある希望に満ちた一枝のようなものであったということなのでしょう。老梅樹は、そんな瑩山禅師様を生み出した「我」を指しています。

「我与大地有情と、同時に成道す」―お釈迦様が悟りを得たときに獅子吼なさったセリフ―
この「我」は、頌古にある老梅樹が指し示すものであると共に、それは瑩山禅師様だけに限定されたものではない、あらゆる存在・全てのいのちというものを意味していることを、ここでは再確認しておきます。表面的には枯れて終わるように見えても、決して、そういうものではなく、永遠の存在たるものである―それが「我」なのです。

次に、「荊棘」という言葉が出てまいります。荊棘(いばら)という障害物を表す存在は、「三毒煩悩(さんどくぼんのう)(貪り・(いか)り・愚かさ)」という仏教が指し示す人間が生きていく上での障害となる存在を意味しています。そうした荊棘もまた「我」から生じたものであり、「我」の一つなのです。それらも時の流れの中で、様々な姿形をまとって現前(築著)しているというのです。

この世には様々ないのちが老梅樹に生える一枝のごとく存在していますが、その枝の育て方・生き方ひとつで、枝は仏にもなれば、鬼にもなっていくのです。そんな一枝を生み出す老梅樹の存在を意識しながら、仏に成る道を歩む毎日を過ごしていきたいものです。