第2回 利行といふは
共に仏に近づく行動の施し合い

「利行といふは貴賤(きせん)の衆生におきて利益(りやく)の善巧(ぜんぎょう)をめぐらすなり。」(正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)より)

前回の「愛語」が「周囲の存在に対する正しい言葉の使い方」を説くものならば、「利行」は「周囲の存在に対する正しい行動の発し方」を説くものです。すなわち、“行動による「布施」”です。

―昔の中国のある国王のお話です―
日々、多忙を極める国王ですが、入浴中や食事中といった、ほんのつかの間の休息のひとときでも来客があれば中断して対応なさったというのです。

このお話をお聞きしたとき、私はハッとしました。それは自分が入浴や食事の最中に同じように来客や電話を受けたときに、この国王のような対応ができなかったことが思い出されたからです。いつもお昼時に用事を言いに来る方がいらっしゃいました。あるとき、溜まりかねた私はその方に「時間を見て行動するように」とお願いしました。しかし、これは道元禅師様のおっしゃる「利行」ではないのです。

どんな状況であれ、相手が誰であれ、自分の都合ばかり優先しようとせず、相手のことも考えながら行動を提示していくのが「利行」なのです。相手の行動の背景には、相手の都合や、そうせざるを得なかった理由があるはずです。その隠された目に見えぬ部分にもしっかり目を向けながら、相手と関わっていけば、相手は救われます。また、私のように相手の都合を斟酌せず、ほんの一部分だけ見て注意を施したのでは、相手を責めるだけで、注意する側も不快になるだけで、救われません。自分の発する行動によって、相手も自分も共に救われると共に、共に仏に近づけるような行動を施し合うことが「利行」なのです。
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