第12回 「三聚浄戒 ―止悪・修善・済度に生きる―」
既に仏法僧の三宝に帰依す。次には応に三聚浄戒を受け奉るべし。
第一摂律儀戒、第二摂善法戒、第三摂衆生戒、是れなり。
今回、登場する「三聚浄戒」については、「教授戒文」や修証義第3章「受戒入位」の中でも触れ、解説を施してまいりました。詳細な説明はそちらをご参照いただければ幸いです。
故人様は導師様のお導きによって、仏弟子として、余道(仏道以外の道)に帰依することなく、仏法僧の三宝に帰依していくことを誓いました。それは決して、他から強制されることなく、自らの意思で戒(仏の生き方)を全うしていくというものです。
そんな故人様の三宝帰依のお誓いを以て、導師様が次に提示なさるのが「三聚浄戒」です。“聚”とは“あつめる”ということですから、「三聚浄戒」とは、清らかな(浄)行い(戒)を3つにまとめたものだと捉えることができるでしょう。
以下に、3つをそれぞれ提示させていただきたいと思います。
1、摂律儀戒 ―悪いことはしない―
「悪いこと」といっても、何が「悪いこと」かと言えば、人や時代によって価値基準が異なるため、流動的なもののように見えます。しかし、仏教の世界における悪は、世間一般の人や時代によって変わる“流動的な「悪」”ではありません。“仏の悟り”を基準とした“絶対の「悪」”です。ということは、「悪いこと」とは、“仏の悟り”という絶対の基準から外れた言葉や行いであると捉えることができます。また、余道に我が身を委ね、三宝に帰依しないことによる言動とも言えます。
2、摂善法戒 ―善いことをする―
「悪いことをしない」ということは、「善いことをする」ということでもあります。これも、「摂律儀戒」と同じく、仏の悟りという絶対の基準による言葉や行いであり、三宝帰依によって生み出される“絶対の“善”なのです。
3、摂善法戒 ―周囲のいのちと“同”になる―
「教授戒文」において、周囲の存在と「“同”になる」ことが仏戒におけるポイントの一つであることを学ばせていただきました。これが仏の基準だとずるならば、「悪いことをしない」・「善いことをする」というのは、周囲のいのちと「“同”になる」ことであると解釈することができます。私たちのまわりには、ヒトがいて、動植物がいて、モノがあります。すなわち、自分とは異なる様々ないのちが存在していて、それぞれが精一杯に自分のいのちの炎を灯し続けていることに気づかされます。そうした周囲の一つ一つの存在に対して、相手を大切にしているというメッセージを込めた言葉や行いを、自分の好みに捉われて、差別することなく全てに行き渡らせるような行いを目指すことが「摂善法戒」なのです。これは「衆生済度」という仏教徒の願いに通ずると共に、「菩薩行」という慈悲から生まれる行いにも通ずるものです。
以上、3つで1つ、1つで3つのはたらきを有する「三聚浄戒」ですが、故人様は仏弟子として、一切の善をなすこと(修善)で、一切の悪を断つこと(止悪)を誓い、全てのいのち差別なく平等に救い上げる(済度)という、仏教徒の願いに生きることを誓います。こうした故人様の誓いを、今を生きる我々も同じように誓い、日常の行いとしていくことが、仏縁を育んでくださった故人様へのご供養にもつながっていくのです。