第2回 佛法値うこと希れなり ―仏性の存在に気づく―
佛法値(ぶっぽうあ)うこと()れなり
仏法(お釈迦様のお悟り・み教えと出会うこともまた、人間としてのいのちをいただき、生かされていることと同様に奇跡であるということです。

そもそも、仏法は「私たち人間がよりよく生きていくための方策が示されたもの」であり、「様々な苦悩を抱えながら生かされている我々が、どうやって苦悩から救われていくかが示されたもの」でもあります。また、先祖供養の観点からいけば、多くのご先祖様の存在によって、「今という時間」・「ここという場所」い生かされていることに気づいたとき、どうやってご先祖様のご恩に報いていけばいいのか、すなわち、「先祖への報恩の方策が示されたもの」とも捉えることができるでしょう。

こんなお話をお聞きしたことがあります。会社経営に行き詰まり、どうにも立ち行かなくなってしまったA氏は、とうとう断崖絶壁から身を投げる決意をしました。ところが、いざ、身を投げようとしたとき、以前、氏がどこかで耳にしたことのあるお話だったのでしょう、「我がいのちは御仏の御いのち」というフレーズが頭を()ぎったというのです。その瞬間、氏は身を投げるのを止め、新たな職に就くと共に、何とか借財を返済しながら、生計を立て直すことができたというのです。

このA氏の脳裏をかすめた「我がいのちは御仏の御いのち」というフレーズは曹洞宗の開祖・道元禅師様がお示しになった「仏性(ぶっしょう)」と相通ずるものです。仏性は誰もが有する「仏に成れる性質・いのち」を指します。皆様方はご自身が仏性を有した存在であることをご存じでしたか?(当該会場ではお一人だけ挙手されました)いかに、「仏法値うこと希れなり」かが伺えますね(笑)。

先祖代々から伝わるいのちは、こうした仏性というものも有したいのちであるということをも、押さえておきたいところです。【第3回へ】