第3回 宿善の助くるに依りて ―先祖の善行―
今我等宿善(いまわれらしゅくぜん)の助くるに依りて(すで)に受け難き人身(にんしん)を受けたるのみに非ず()い難き佛法に()い奉れり
先祖代々伝わる「仏性(ぶっしょう)(仏に成れるいのち・性質)」を有したいのちをいただいて生かされていること、そして、仏法(お釈迦様のお悟り・み教え)と出会えたこと、それら奇跡ともいうべき巡り合いは、「宿善の助くるに依りて」と修証義には示されています。「宿善」とは、「ご先祖様のよき行い」のことです。

AIの時代に突入し、近い将来、人間に取って代わる日が訪れるのではないかと思うことがありますが、人間が築き上げてきた長い長い歴史を見るに、人間が成し遂げてきた功績、人間が今日まで人間社会を作り、護り継いできたという事実は、疑いようがありません。そうした無限の力を秘めた人間を生み出すと共に、社会に貢献できるまでに育て上げてきた先人(ご先祖様方)の行いを善き行いと言わずして、一体、何が善き行いと言えるのでしょうか。

私たちが宿善の助くるに依りて、「今という時間」・「ここという場所」に生かされているということは、言い換えれば、今・ここに生かされている私たちが仏法と出会い、仏法によってよき人間となっていくことによって、将来生かされるであろう私たちの子孫に明るい未来、穏やかな日常というものがもたらされるということもまた、確認しておきたいところです。

生死の中の善生、最勝の生なるべし
これは、人間である自分という存在は、他の何よりも優れた存在であるということを指し示す一句です。ひょっとすると、普段、何かと不平不満を抱きながら過ごしているという方もいらっしゃるかと思いますが、実は、私たちは仏性まで有する最高のいのちをいただいて生かされている幸せ者であるということなのです。そして、これもまたご先祖様の善行のおかげさまであることも確認しておきたいところです。【第4回へ】