第5回 三法印のみ教えに出逢う―この世の仕組みを認めていく―
いつ、どうなるかわからない「露命」を生かされている私たちがどうやって毎日を過ごしていけばいいか?最後に「三法印(さんぽういん)」のみ教えに出値(であ)うことによって、考えていきたいと思います。

【三宝印】
諸行無常(しょぎょうむじょう)・・・万事が時間との関わりの中で変化していく(変化せざるを得ない私たち)
諸法無我(しょほうむが)・・・万事は様々な存在との関わりの中で思い通りにならない(思い通りにならない日常を生きる私たち)
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)・・・あらゆる苦悩、自分にとって不都合なことも全て受け止めることによって、穏やかな心持ちで毎日を過ごすことができる。

諸行無常ということについて、考えてみると、自分にとって都合のいい変化もあれば、そうでないものもあります。しかし、そうした個人的な都合で変化の良し悪しを分別し、都合の悪いものから逃げているようでは、仏法と出値(であ)えたとは言えません。どんな変化も受け止めてこそ、仏法と出値えたと言えるのです。

諸法無我ということについて、露命を生かされている者たちが集い、関わり合い、支え合っている娑婆世界において、一人一人は性格も考え方も生まれ育ってきた環境も異なります。それゆえに、思い通りにならないことがあるのが当たり前なのです。

こうした「変化」や、「思い通りにならない」ということは、まさに「この世の仕組み・条件」と言えるでしょう。とは言え、そうしたものを認め、受け止めていくことは至難の業であり、だから「一切皆苦(いっさいかいく)(万事が苦しみであり、私たちはその事実を受け止めながら生きていかねばならない)」とあるのでしょう。

そうなると、「一切皆苦」であることを認め、受け止めていくしか道はないことに気づかされます。そして、それができれば、心安らかに毎日を過ごすことができるようになるのです。それが涅槃寂静です。

人間の力ではどうにもできない「この世の仕組み」を無理矢理、思い通りにしようとすることに全力を注ぐのではなく、「この世の仕組み」を認め、受け止めていくことに生きる力を注いでいきたいものです。それが仏のみ教えに従った生き方なのです。そうやって、少しずつ身心を調え、穏やかな毎日を過ごしていただくことを願っております。 【終わり】