第14回 「誓願(せいがん)・十六条戒と共に生きる」

上来(じょうらい)三帰(さんき)三聚浄戒(さんじゅじょうかい)十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)()れは()れ、先佛(せんぶつ)護持(ごじ)したもう所、曩祖(のうそ)の伝来したもう所なり。我れ今(なんじ)(さず)く、汝今身従(なんじこんじんよ)り、仏身に至るまで、此の事能(じよ)く護持し奉るべし。

上来(これまで述べてきたところの)、「三帰戒」、「三聚浄戒」、「十重禁戒」は仏教における「戒律」のことです。戒というと、“戒め”とあるように、どこか、他者から強制的に押し付けられ、義務的に守るべきものという印象がありますが、決して、そういうことではありません。お釈迦様が指し示す戒とは、あくまで自発的に、自らの意思で守ることを誓って営まれるべきものなのです。すなわち、自らの意思で「悪を断つ(仏のみ教えから外れたことはしない)」、「善を修す(仏のみ教えに従って言葉や行いを提示していく)」、「周囲の存在に気を配る」ことを実践していくのが、戒なのです。

そうした戒は、約2600年前にお釈迦様が人生の苦悩に直面し、菩提樹の下で坐禅を重ねて悟りを得た後、多くの祖師方によって、日常生活の中で護持(実践)され、今日の我々まで伝えられてきました。それが「先佛の護持したもう所、曩祖の伝来したもう所なり」の意味するところです。「曩祖」とは、「仏教の祖師」のことで、戒律が保たれているところに仏教教団の秩序や和合が保たれると共に、仏のお悟りを追求せんとする志を同じくした師と弟子によって、今日まで伝えられてきた偉業であることを再確認しておきたいものです。そして、そうした偉業が「相承(そうじょう)」という、「仏祖のみ教えが修行によって末代まで相伝わること」であることも、加えて、押さえていきたいところです。

「三帰戒」・「三聚浄戒」・「十重禁戒」で「十六条戒(じゅうろくじょうかい)」と呼ばれますが、故人様は導師様より十六の戒法を授かりました。そして、導師様は故人様に語りかけます。「汝今身従り、仏身に至るまで、此の事能く護持し奉るべし。」と―。故人様が十六条戒を授かったこの瞬間から、自らの意思で永遠に十六条戒を護り、十六条戒のみ教えと共に生きることをお誓いするのです。

この故人様のお誓いは、ご遺族のお誓いともすべきことです。すなわち、ご遺族も自分たちの日常を振り返り、十六条戒のみ教えと共に生きていく仏縁として、この場に携わるのです。また、十六条戒を授ける立場にある導師にとっても、日常を見つめなおし、自らが十六条戒のみ教えと共に生きているかどうかを確認する仏縁として、捉えておきたいものです。