坐禅の用心を働かせる

高源院の近くには金沢大学付属病院があります。患者さんが多い日は、病院に入る前の道路は、その車で渋滞します。そこで、病院では常時、3名のガードマンを配備し、交通誘導を行っています。

10年ほど前のことになりますが、そんな渋滞の中、ガードマンの誘導を無視するかの如く、猛スピードで病院に突っ込んでいく車を見て、ヒヤッとしたことがありました。近年は葬祭会館や大型スーパーなど、大きな駐車場を持つ施設に、ガードマンを配備して、交通誘導を行っている場面を見かけることが多くなりましたが、一体、世間で車のハンドルを握ることが認められているドライバーで、どれだけの方がそうした誘導の方にも心を配って、ハンドルを握っているのでしょうか・・・?かく言う、私自身も20数年の運転歴を振り返りながら、恥ずかしながら、そうした周囲に用心を働かせてハンドルを握ってきたとは言い切れません。恥ずかしながら、「自分の運転は正しい」とか、「自分が見ているものがすべてだ。」と思い込んで、運転していました。

そうやって自分自身の運転に対する意識の低さに気づかせていただいたのは、誘導される立場から誘導する側になったときです。ある子どものイベントで交通誘導の係を仰せつかった私は、事故が起こらないよう、他の担当者と入念な打ち合わせをした上で、任に当たりました。実際にやってみると、誘導者の意図はドライバーに伝わりにくいことが痛いほどよく実感されました。誘導とは違った動きをする車もいれば、ものすごいスピードでバックしてくる車、そんな車に危うくはねられそうになり、ついつい声を荒げ、他の担当者から指摘される場面もありました。

そんな車を誘導する側・される側、双方の立場を経験して、私は自分が車を運転する際に、「坐禅の用心」を働かせていなかったことに気づかせていただきました。そして、そんな自分を猛省しながら、運転を見直しているところです。

世間では「あおり運転」等、車に関する諸問題が発生しています。その背景には、道路を利用するドライバーも歩行者も、「坐禅の用心」を働かせずに、道路を利用しているからです。一人一人が周囲の存在に対して、その存在を認め、安心を覚えていただけるような言葉や行動を発しながら、周囲に気を配るという、「坐禅の用心を働かせる」ことを我が身に念じ、日々を過ごしていきたいものです。
                       【おわり】