染色補正とは

和服には染、織、などがあり、その生産技術は多岐にわたります。
我々染色補正技能士はあらゆる生産工程で発生したトラブルを補正する仕事であり着物のお医者さんと呼ばれています。
着物の素材や染織加工の全般、着用後の汚れの識別方法など、染色補正には幅広い知識が要求されるため、国家技能検定試験が実施されています。
従って、染色補正技能士は国家試験を有する「職人」なのです。
この知識と技術を生かし、着用後の着物のシミ、カビ、変色等を出来るだけ元の状態に戻し、皆様の大切な財産着物をお守りいたします。

(北陸地区染色補正工業連合会パンフレットより)


 

染色補正の歴史 

染色補正業は、今から約290年前、享保14年、第百十四代中御門天皇の御代に朝廷をはじめ公家、女官の着用する礼服など染織品の御用を承っていた御所出入りの小川茶屋、堀川茶屋、西洞院茶屋などが、染織工程上発生する汚点または難点を除去し、納品の完全を期するために調整方を設けて処理する必要から、京都小川三条に住まいる新宮三右衛門をして専業に当たらせたのがこの業の始まりであり、当時は御手入れ師と呼ばれた。
これを契機として呉服問屋、専門店等から調整の依頼が多くなり、業者も幾久屋、桔梗屋、梅鉢屋など門派を生じ、全国の主要都市に所在し、直し物屋、落とし屋と称した。以来現在まで続いています。

                  
                  

桔梗屋について(二木調整店のルーツ)

桔梗屋は文化2年(1805年)京都、錦小路新町創業。
山田伝兵衛です。
初代、二木勝三は別家筆頭の桔梗苑、西嶋猶吉の元で修業しました。
三代目、二木秀樹は桔梗屋6代目、山田幸造の元で見習いをしていました。
現在、桔梗屋総本家、山田家は途絶えています。
幾久屋総本家、新宮家も途絶えています。
現在でも染色補正店のルーツは両勢力にあります。
現在は京都、東京、北陸、各染色補正組合の交流が有ります。

初代 二木勝三が暖簾分けでもらった看板です。
桔梗屋の桔梗と勝三の勝の字を取って桔梗勝です。