ペットのお話  5

ポチ  2003年3月14日〜2004年11月17日

2003年の春、月に6日ほど山形から東京の会社に通っていた時の事です。丁度出勤日で、会社で仕事をしていたら山形の家内から珍しく電話が有りました。何事が起きたのかと受話器を取ったら、ヒワの子供を拾ったがどうしようか、という相談でした。

3月14日、山形でも春の気配が漂う頃でしたが、時には雪が舞う日もあり春の陽気までにはまだ間がありました。家内が買い物に行く途中、家の近くに置いてある自販機のそばで何かを見つめている女の人を見かけたのです。しばらく見ていた女の人が振り返りながら立ち去った後、家内が不審に思って行ってみたらヒワが道路にうずくまって動けなくなっていたのです。すぐに捕まえて急いで家に戻り小さな箱に入れて暖め、蜂蜜入りのお湯を飲ませたそうです。

家内の適切な介護で元気を取り戻したヒワですが、その後どうするかで困ってしまいました。時期が3月なので当年の子でもないし、完全な成鳥とも思えません。結局、暖かくなるまで保護観察処分ということで様子を見ることにしました。名前がないと不便なので放してやるまでの仮の名前と言うことで当時のニュースから拾った「ポチ」を借用することにしました。

ヒワの主食は植物の種です。特にヒマワリの種が好物でハチミツなども飲みます。ヒワは春先になると電線などに止まって、ピリピリ、ピューイと鳴いているスズメほどの大きさの鳥です。羽に黄色の紋があるのですぐに判ります。

可愛い声でさえずり夫婦仲も良いのですが、意外に闘争心が強く餌台の餌をめぐって争いになると空中で取っ組み合いが始まり、絡み合ったまま地上まで落ちてくる事もあるほどです。

又別々の時に他の動物を飼うと、お互いに反発してうまくいかないことがあります。
インコを飼っていた人が犬を飼ったらインコが自分の毛をむしって死んでしまったり、とても大人しかった飼い猫が、子供(勿論人間の)が生まれたとたんに悪い子になったり。でも「チビ」は、「ポチ」の存在を黙認していたようです。

心配した先住者のチビとの仲も問題なくクリアーし別々のゲージで生活をはじめました。しかし桜の花が咲き暖かい陽気が続く頃になっても、一人立ちできるような感じが伝わってこないのです。そうこうしているうちに、情も移って結局は家族の一員に加わる事になってしまったのです。

「チビ」のお下がりの小さな籠も大きな籠に買い換え、運動不足にならないように毎日夕食後の2時間程部屋の中を自由に飛び回れるようにしてやりました。最初籠の外に出るのが不安そうでしたが、慣れるにつれて時間が来ると出口のところで待つようになりました。

外に出て最初にすることは、先輩「チビ」の籠の上にとまり挨拶をすることです。たいがいの場合、無視されてますが毎日懲りもせずご機嫌伺いをするうちに、たまに「チビ」が気を持たせるようなそぶりを見せると、さあ大変。籠の上を行ったり来たりした挙げ句、中に入ろうとして入り口を探しはじめるのでした。

出るときは自分で出てくるのに入る時は一人で入れません。時間がくると部屋の照明を暗くしてやります。そうすると「ポチ」はカーテンレールにつけた木の枝にとまります。そこをタオルを持って捕まえるのです。最初の内は嫌がって噛み付いたりしましたが、そのうちゲームでもするように追いかけっこを楽しんでいる風でした。 

2003年の暮れに二人と二匹は千葉に引っ越しました。家の造りが山形のアパートと似ているせいか、チビもポチも新しい環境にすぐ馴染んだようでした。翌年6月にお墓参りを兼ねて山形の母の家に行きました。「チビ」は何の感慨もないようでしたが、「ポチ」は何を感じたのか異常に喜び、籠の外に出したら普段はしないのに人の足にまとわり付いて離れまかったのです。

動物がテレビに興味を持つことは殆どないと思いますが、ポチは特定の番組になるとチビの籠の上で食い入るように見てました。理由は判りませんが家内が好きで見ていたTBSの東京フレンドパークという番組です。それ以外は全く見もしませんでした。

2004年11月17日、家内が仕事で外に出ていた時のことです。前日からお腹をこわしてやたら水ばかり飲んでいた「ポチ」が急に動かなくなりました。手の中で暖めてあげたり水を飲ませたりして夕方まで待つように頼んだのですが昼頃眠るように亡くなりました。そうでなくても小さいポチの身体が一瞬重さが無くなったように感じました。夕方帰ってきた家内が大泣きしたのは勿論です。
翌日石板を買ってきて名前を書き、好きなヒマワリの種とお花を沢山入れてお墓を作りました。2年にも満たない短いお付き合いでした。

「チビ」ですか?。一時の不調はどこへやら、まるで「ポチ」の残りの命をもらったように元気一杯、我が儘一杯の毎日です。