第7回 「清らかな信心 −三宝帰依の心構え−」

(その)帰依三宝(きえさんぼう)とは(まさ)浄信(じょうしん)(もっぱ)らにして


前回、“三宝帰依”が「苦しみからの解放」と「人間性の完成」という2つの功徳をもたらすことを学習しました。

それを踏まえ、今回はどのような心構えで三宝に帰依するのかを学習してまいりたいと思います。

三宝帰依の心構え―それを指し示すのが「浄信」という言葉です。この言葉は、すでに第2章「懺悔滅罪」の中に登場しています(第7回 「変革 −自分が先に変われば、相手も変わる−」)そこでは、浄信は「仏祖をまっすぐに信じる気持ち」だとお話させていただきました。すなわち、ただ只管(ひたすら)、ひとすじに三宝に身も心も委ねていくということです。

ということは、浄信は「帰依」につながっていることに気づかされます。“帰依”の“帰”は“帰投(身も心も投げ入れる)”であり、“依”は“依存(そこから絶対に離れない)”です。自分の身も心も三宝にすっかり委ねて、お任せしてくことが三宝帰依の心構えなのです。

そこには、“三宝に帰依すれば、何かいいことが起こるかもしれない”と何かを期待するような、見返りを求めるような心はありません。ただ只管、三宝を信じ、三宝に我が身を委ねようとする清らかな心しかないのです。それが仏と共に生きる仏教信者の姿であり、三宝帰依とは、そうした見返りを求めぬ純粋な心から生ずる清らかな信心なのです。