第6回 「仏界への旅立ち(1)―懺悔(さんげ)―」

()新帰元(しんきげん)(戒名)、帰戒(きかい)を求めんと欲せば、()ず当に懺悔(さんげ)すべし。二儀両懺(にぎりょうさん)ありと(いえど)も、先仏の護持したまう所、
曩祖
(のうそ)
の伝来したまう所の懺悔の文あり。罪障悉(ざいしょうことごと)消滅(しょうめっ)す、
()
が語に(したが)って之を唱う()し。


仏式による葬儀の目的とは、亡き人をお釈迦様のお弟子様にすることです。これは故人様を出家させるということです。曹洞宗の葬儀ではまず、「剃髪之偈(ていはつのげ)」をお唱えして、故人様の髪や髭を剃ること(真似)から開式となります。これは「没後作僧(もつごさそう)」と呼ばれるもので、「没後に僧(僧形(そうぎょう))と()す」ということです。こうして故人様は仏として生まれ変わり、仏界にて新たないのちの灯を燃やし始めていくのです。

「剃髪之偈」の後、導師様が「戒石(かいしゃく)」という、拍子木のような仏具を三回打ち鳴らしてお唱えするのが、今回の一句です。「新帰元」とありますのは、「死によってこの世を去った者が、真実寂滅たる仏の世界に立ち返ること」を意味しています。また、「戒名」とは仏道に入る者の名前です。曹洞宗では戒名と申しますが、多宗派では“法名”等、別の呼び方もあります。いずれも同じことではありますが、仏弟子となった故人様は、娑婆世界での俗名から、新たに仏弟子としてのお名前である戒名をいただくことになります。ですから、以降は戒名でお呼びすることになります。ちなみに、こうした戒名の制は、中国や日本の仏教で行われるようになった習慣のようです。

そうした故人様が帰戒(仏戒への帰依)を目指すとき、「懺悔(さんげ)」をする必要があるということで、「没後作僧」の次は「懺悔(さんげ)」の式に入っていきます。これは生前の罪過を悔い改めるために行われるものです。仏弟子となるために、髪や髭をきれいに剃って、出家者としてのスタイルが出来上がったならば、次は心を調えることで、身も心も仏弟子へと生まれ変わっていくのです。


「懺悔」のみ教えについては、これまで
修証義第2章・第1回教授戒文・第4回などでも読み味わってまいりましたので、詳細はそちらをご参照いただければ幸いですが、「懺悔」には、「二儀両懺(にぎりょうさん)あり」とあるように、2種類の「懺悔」と2通りの「懺悔の方法」が存在するとあります。ここでは、その点に着目して、「懺悔」をさらに深く味わってみたいと思います。

二儀(にぎ)  「作法懺悔」と「取法(しゅほう)懺悔」
作法懺悔」は作法に則って懺悔することです。たとえば、仏前で合掌礼拝して罪を悔い改めるなど、具体的な動作によるものを意味しています。「取法懺悔」は坐禅をしたり、念仏を唱えたりしていく中で、仏様のお姿をはっきりと自覚できるようになっていくことで、罪の消滅を自覚することです。

両懺(りょうさん)  「理懺(りさん)」と「事懺(じさん)
「両懺」は、「懺悔における2つの方法」のことで、それが「理懺」と「事懺」の2つです。「理懺」は我々の罪というものが、本当は無常(変化する)なるはかないものであるという観点に立って、罪を捉えることです。「事懺」は仏前にて合掌礼拝したり、偈文(げもん)を唱えるなど、身口意(しんくい)三業(さんごう)(身体・言葉・心)を全て使って行う懺悔のことで、それを具体化させたのが、先に述べた二儀です。

「懺悔」は単に謝罪すればいいというものではありません。仏様との絆を深めることを意識しながら、自分の罪過を認めたならば、悔い改めて、二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓うという、深い意味を有した行いなのです。そうやって、磨いたままのきれいな心を維持していく行いであるということを押さえておかねばなりません。そして、故人様のみならず、ご遺族を始め、その場にいらっしゃるご縁のある方々が、一心に「懺悔」をして、自己を見つめ、自己を新たにしていくきっかけになることを願うのです。