第33回「出棺・荼毘 ―最期の別れを捧げる場として―


前回お話した「送龕回向(そうがんえこう)」の後、故人様を火葬場へお送りすべく「鼓鈸三通(くはつさんつう)」の鳴らしものが堂内に鳴り響き、葬儀は終了となります。葬儀に要する時間は、だいたい40分~50分ほどです。

読経を務めさせていただいた僧侶方は退席し、その後、葬儀社の司会者からの弔電の奉読。そして、遺族を代表して、喪主様からご挨拶をいただき、いよいよ「出棺(しゅっかん)」となります。、故人様との別れに際し、きれいな花や故人様の生前の愛用品等をお棺にお納めするなどして「惜別の意」を表した後、故人様をお納めした棺を火葬場にお運びし、火葬(荼毘(だび))に付すわけですが、これは、黄泉(こうせん)(あの世)へ旅立つ故人様を送り出す儀式でもあります。

荼毘(火葬)の歴史については、
こちらで触れさせていただきましたが、仏教の発祥の地でありますインドにおいて、火葬が採用された背景には、気温が高いために、遺体の腐敗が早く、必然的に火葬を行わざるを得ない環境であったことも一因のようです。

そんな火葬の風習が仏教の伝来と共に日本にも伝わったわけですが、それでも昭和初期頃までは、現代のように火葬場の整備が十分になされていなかったこともあり、土葬(掩土(えんど))が多かったようです。その名残か、私たちが葬儀に用いる「曹洞宗檀信徒 喪儀(そうぎ)法」には、挙棺念誦(こがんねんじゅ)山頭念誦(さんとうねんじゅ)の中に、「荼毘」と共に、「掩土」という言葉が残っているくらいです。

土葬といえば、近年、3・11の大震災で亡くなられた方々を荼毘に付す際、火葬場の機能が間に合わず、遺族の許可を受けた場合に限り、ご遺体を土葬したということがありました。

また、皇室では江戸時代末期の孝明天皇(明治天皇の父 1831~1867)から昭和天皇までが大きな墳丘に土葬されてまいりましたが、第125代天皇である明仁上皇陛下は時代の流れと後世の人々への配慮から、火葬を希望なさっているとのことです。現代社会における様々な事情を考慮すれば、上皇陛下のご判断は正しいと言えるでしょう。

埋葬法は時代によって変化していくことはあるものの、出棺や荼毘は、この世における遺されたご遺族が最期に故人様のお姿に触れる場面となります。そういう意味で、これらの場面が現実的に最期の別れを捧げる場であると捉え、それぞれが故人様に思いを馳せていただければよろしいかと思います。