第16回 「仏弟子証明書 その2―戒名(かいみょう)―

衆生仏戒(しゅじょうぶっかい)()くれば、即ち諸仏の位に()る、位大覚(くらいだいがく)(おな)じゅうし(おわ)る、
(まこと)
に是れ諸仏の(みこ)なり、南無大慈大悲(なむだいずだいひ)哀愍摂受(あいみんしょうじゅ)

「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る、位大覚に同じゅうし己る、眞に是れ諸仏の子なり」は「修証義第3章・受戒入位」でも登場した一句です。意味内容等、詳細はこちらご覧いただければ幸いです。仏戒(十六条戒(じゅうろくじょうかい))を受け、仏の世界の末席に身を置くということは、我が身が仏と“(ひとつ)”になる行いに他なりません。これぞ、仏戒における最大のポイントであると共に、仏戒を体得していく上で、決して、外すことができないのを再確認しておきたいものです。そして、導師様のお導きによって、故人様が仏界と一体化していくのを目の当たりにしたご遺族もまた、我が身と仏が“同”になることを目指し、我が心、我が生き方を調えて言動を発していく仏縁としていきたいものです。

「南無大慈大悲。哀愍摂受。」―仏の広大無辺なる衆生済度の行に対して、仏弟子が帰依の念を表しています。仏のどんないのちに対しても、その苦しみと向き合い、一つとして取り残すことなく救い上げる「抜苦与楽(ばっくよらく)」の行に生きる姿に対して、仏弟子たちは我が身をすべて委ねていきます。これは、そうした仏弟子たちの意思表示が示された一句でもあります。慈は与楽(人々に楽を与えること)を、悲は抜苦(人々の苦悩に向き合い、救いの手を差し伸べること)を意味していました。この場面は、そうした行を我が生き様とする仏に哀愍(あわれみを(こいねがい)う)し、帰依の念を新たに、故人様が仏弟子となったことを、その場に集う全ての者が再確認する大切なご縁でもあるのです。

ここでは、故人様が「戒名」という仏弟子としての御名を導師様から正式にいただきますが、これは、前回の「血脈(けちみゃく)」同様、仏弟子となった証であり、もう一つの“仏弟子証明書”とも言えるものです。「戒名(かいみょう)」を「法名(ほうみょう)」と呼ぶ宗派もありますが、私共曹洞宗では「戒名」と申しております。「戒名」は戒を授かり、仏弟子となった者に与えられる名前で、故人様にとって、新たにいただいた仏としてのお名前です。各ご家庭のご仏壇には、故人様の戒名が記された「位牌(いはい)」が“家庭の信仰の対象”として安置されているはずです。位牌は戒名と共に後世へと受け継がれ、それぞれの時代に生きる人々の信仰の対象として拝まれていくものです。そういう意味では、戒名には「仏弟子としての証明書」という面に加え、「未来永劫の信仰の対象物」としての側面もあることになります。

そうなりますと、当然、戒名に使われる文字は清らかな文字や、生前の故人の人柄や功績を思い起こさせるような、信仰の対象となるべき文字を使用することになるはずです。

しかしながら、我が宗派始め、仏教教団の歴史の中で、戒名として相応しくない文字を使用した「差別戒名」なる事例が存在していたという事実があります。それは、何の根拠もなく亡き人を不当に差別し、その意識が戒名の授与にまで及ぼされてしまったというものです。

曹洞宗の公式サイトである「曹洞禅ネット」によれば、「差別戒名」は江戸時代中期から昭和20年代頃まで、主に被差別部落の檀信徒に授与されていたとのことで、「畜男(女)」や「穢男(女)」といった直接的な文字を用いた「直接的差別戒名」や、他の地区に住む檀信徒と比して、戒名に用いる文字数を減らすなどの「相対的差別戒名」といった事例が見受けられるとのことです(詳しくはこちらをご覧ください)。

当然ながら、仏のみ教えに従った言動を心がけることを善とし、道から外れた行いを悪とする仏教の立場からいけば、そうした「差別戒名」を授与することが許されるはずはありません。例えば、かわいい我が子が誕生したときのことを思い浮かべてみると、誰が我が子の命名に差別を連想させるような文字を使用するでしょうか―?もはや言うまでもなく、故人様に戒名を授与する際には、過去の歴史を十分に反省して、同じ過ちを犯さないようにすることは勿論、戒名の持つ意味を十分に理解し、未来永劫にわたる信仰の対象として、尊重されていくように配慮していく必要があるのです。

ちなみに、曹洞宗では30年近くに渡り、差別戒名が付された墓石や過去帳などの改正事業が進められ、2016年4月30日時点における差別戒名が付された墓石の改正率は97.2%、過去帳の改正率は94.9%とのことです(曹洞禅ネットより)。100%の改正を目指して、継続的に取り組んでいく重要な課題であることは、言うまでもありません。

戒名に関しては、「院号(いんごう)」や「位階(いかい)」などと合わせて、議論されることが多いですが、当HPでは、あくまで戒名の根源的な意味のみの説明に止めさせていただきたいと思います。