第66回「仏祖の坐法 その4 “軽軽”かつ“徐々”なる言動を目指す-」
若し定より起たんと欲せば、先づ両手を両膝の上に仰ぎ安じながら、身を搖かすこと七八度して、細より麄に至り、口を開いて気を吐き、両手を伸べて地を捺え、軽軽に座を起て、徐々として行歩す須らく順転し順行すべし。
瑩山禅師様は坐禅に入っていく際の動きについて、「身を搖かすこと七八度し、麄より細に至つて兀兀として端坐すべし」(坐禅用心記・第64回「仏祖の坐法 その3 —ココロ・カラダ・コキュウを調える-」)とお示しになっています。今回の一句を拝見いたしますと、“搖かす”とか、“麄より細に至る”など、同じ表現が使用されていますが、先に「定より起たんと欲せば」とあるように、坐禅を終えて、自分の座から立ち上がる場合の方法について触れられていることに気づきます。その方法というのは、坐禅に入るときと動きは逆で、始めはゆっくり、そして、次第に大きく身体を左右に七八度揺らしながら、立ち上がるというものです。この左右に身体を七八度搖かすというのは、道元禅師様のお言葉をお借りするならば、「左右揺振」ということでした。
こうした「座より起つ」の作法は、道元禅師様も普勧坐禅儀の中でお示しになっています(詳しくはこちらをご覧ください)。この中で注目すべきは、「卒暴なるべからず」というみ教えです。極度の緊張感が持続する坐禅修行の場において、その終了を告げる抽解鐘の音が鳴ると、ついつい気が緩み、作法を遵守することを忘れて、大胆で騒々しい言動を引き起こしやすくなります。そうならないように留意した上で、“軽軽に”とか、“徐徐として”という言葉を意識し、堂内で行う全てが坐禅修行であると捉え、一つ一つの所作を丁寧にこなしていきたいものです。
ちなみに、「行歩」とは、「歩くこと」であり、「順転」とは、「右に身を転ずること」を意味します。曹洞宗の儀礼として、仏祖の周りを右まわりで三度回る「右遶三匝」というのがあります。これはインドの礼法で、尊敬する人の周りを右に回って敬意を表する作法です。坐禅を行う僧堂(坐禅堂)の中でも、真ん中にいらっしゃる聖僧文殊菩薩様等の仏様への帰依を表すが如く、右回りでがルールとなっており、それに従ったものが「右に身を転ずる」です。歩くことを意味する「行歩」は、それも含めた坐禅堂内における坐禅修行者の動きと捉えればいかがかなと思います。
そうした坐禅修行者の堂内における言動が、卒暴なることなく、穏やかで静かなものであるというのが、「調身」という、坐禅によって我が身を調えることなのです。こうした言動を、坐禅の場だけに限らず、日常生活全体の場で心がけ、穏やかな毎日を目指していきたいものです。