第96回「一心に出道(しゅつどう)勤求(ごんぐ)する ―人生を歩むポイントとは?―

汝等比丘(なんだちびく)、常に当に一心に出道(しゅつどう)勤求(ごんぐ)すべし。
一切世間の動不動(どうふどう)の法は、皆是(みなこ)敗壊不安(はいえふあん)(そう)なり。

自分がいただいた道を真剣に歩むということについて、お釈迦様はお弟子様たち(仏道修行者)に対して、「一心に出道を勤求すべし。」とおっしゃっています。すなわち、「ただ只管(ひたすらに)に、道(仏道)とは何かを求め、仏道修行者としての道を歩み続けながら(一心に出道を勤求する)、仏の悟りに到達していってほしい」ということです。これは、まさに智者たる師・釈尊からお弟子様たちに向けられた願いです。つまり、お釈迦様は仏道修行者に対して、何よりも「精進」こそを願っていらっしゃるのです。

こうしたお釈迦様の願いは仏道修行者のみならず、誰に対しても当てはまります。我々は誰もが自分たちの道を歩んで生きています。学生という道、技術職や事務職、福祉職等、自分が司る仕事という道、または、スポーツという道や芸術という道。そうした自らが歩む道が具体化している人もいれば、何をやっているのかはっきりしていないという人もいるかもしれません。

しかし、誰もが「人生」という道をいただき、歩んでいるという点では、同じではないでしょうか。そうした人生において、どんなときも「精進」を意識しながら、道を歩んでいくことを忘れないようにしていきたいものです。これぞ、先にお釈迦様がお示しになった「不忘念(ふもうねん)」(詳しくはこちら)のみ教えとも合致しているのです。

そんな私たちが歩んでいる人生という道には、時間という存在があります。時間の存在、そして、時間との関わりによって、道は変化に富み、様々な存在とのご縁が育まれていきます。これが「諸行無常」です。お釈迦様はお弟子様たちにおっしゃいました。「諸行無常を他人事ではなく、我が事として受け止めていけるように」と(詳しくは
こちら)。誰もが“いつか死ぬ人生”を生かされています。死は突然我が身に迫ることもあります。まさに「一切世間の動不動の法は皆是れ敗壊不安の相なり」が指し示しているのは、そういうことです。このこともまた、しっかりと我が心に留めて、人生を歩んでいくことが大切です。世間というのは、いのちあるものが生かされている娑婆世界のことであり、そこで起こる出来事を、心や身体が動かされるようなもの(心境の変化、病や加齢による体調の変化)とそうでないものに分類しながら表現しているのが「動不動の法」です。そして、それが脆くて壊れやすい脆弱なものであり、不安定であることを言い表しているのが、「敗壊不安の相」です。

「諸行無常」を我が事として捉え、「一心に出道を勤求」することを心がけながら、人生という道を精進していく大切さを再確認しておきたいものです。