第4回 不退転(ふたいてん)に生きるということ 
今、世界中が“オミクロン株”なる新たな変異株の影響を受けて、大変な状況になっています。第2回の中で、明治期の仏教界が明治政府の方針を受けて、想像だにしなかった危機的状況に瀕したことに触れさせていただきましたが、まさに今、我々が置かれている状況は明治界の仏教界が直面したような“想像だにしなかった窮地”といっても過言ではありません。

そんな中で、修証義(しゅしょうぎ)編纂に尽力された大内青巒(おおうちせいらん)氏や当時の両大本山の禅師様は心静かに状況を受け止め、仏教の存続に向けてご自分のできることを精一杯にお努めになり、修証義が誕生しました。

こうした人々のご尽力によって、仏教のいのちの灯が途絶えることなく、今日まで灯り続けているのは確かです。その事実に向き合うとき、今、コロナ禍で苦悩の日々を過ごす私たちも、心静かに現実を受け止めつつ、自分たちができることを精一杯行いなが生きていくことの大切さに気づかされます。そして、そうした日々を過ごすことが、修証義に示されている「生を明らめ、死を明むる」ということであるということを押さえておきたいものです。

禅語に「不退転」という言葉があります。「退くことなく、転ぶことなく」ということですが、まさに仏のお悟りに向かって、真っ直ぐに進んでいくことです。この禅語もまた、「生を明らめ、死を明むる」ということにもつながっています。ワクチン接種を遂げ、第5波が収束したことで、かなりの安心感を懐いていた私たちですが、オミクロン株の出現によって、再び未曽有の危機に直面してしまいました。この先、何が起こり、どうなっていくのかは全く予想が尽きませんが、どんな状況下にあっても「不退転」ということを心がけながら、「生を明らめ、死を明むる」日常を過ごしていただくことを願っております。
 【終わり】