第9回 三宝の
三宝に三種の功徳有り。所謂、
一
仏法僧の三宝には「三種の功徳」があります。「功徳」とは善行を施したことに対する報いのことですが、その報いが“三種類”あるということで、今回はそのお話をさせていただきたいと思います。ちなみに、三宝における三種の功徳は、「教授戒文」でも触れられています。
1、
“坐禅”を通じて、「この世における永久不変の真理(法)」をお悟りになられた「お釈迦様(仏)」、そして、法を学び、実践することで仏道を歩んできた人々(僧)。この「仏・法・僧」の「三宝」は、三者共々が関わり合った“一体の存在”であり、その中のひとつでも欠ければ、仏道や悟りというものが成立しないのです。また、一体ということは、「対立」することがなく、仲良く一つに溶け合っているということでもあります。
2、
お釈迦様(仏)は今から2500年ほど前、この世に実在し、法をお悟りになった方です。そんな法を、いつの時代にも学び、実践することで仏道を歩んできた人々(僧)によって、2500年も経過した“令和の世”にも仏法僧の三宝は存在しています。それを「現前」と申します。三宝の現前によって、我々は三宝に出会えました。それはこの上ない喜びであり、何よりもの幸せなのです。
3、
これまで多くの人々(僧)によって、仏の慧命が嗣続されてきました。すなわち、法がいのちの灯を保ち続けることができたということです。そうやって、仏のお悟りを日常に生かすことで、仏のいのちを受け継ぎ、後世に伝えていくことは、我々、仏弟子に与えられた使命です。その使命を全うすることが「
仏弟子として、三宝に帰依することによって、そこから得られる功徳ははかり知れないほど大きなものです。そうした三宝の功徳が余すことなく発揮されることを意味しているのが「圓成」です。三宝を信仰の対象としていくには、自分の意思で以て、自ら三宝の功徳海に身を投じる姿勢が大切です。そうした自主的な帰依によって、三宝帰依の喜び・幸せ(三種の功徳)が実感できるのです。
故人様に三宝を拠り所としながら、三宝帰依の喜びと幸せを感じていただくことを願う共に、故人様がで仏弟子としての日々を過ごしているという実感が、遺族の心に安心を与えていくのです。