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数年前までは、国内弱電メーカーは特許の鉄砲をずらりと並べ、特許の実弾を撃ち込んだら何倍にして返すぞ。といった脅しだけで、自ら特許係争を起こすことはないと言われたものでした。
ところが、ここ数年の米国による特許攻勢が原因となって、国内弱電メーカーも特許を主張するようになってきました。もともと国内弱電メーカーは、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる式に膨大な特許出願をしており、この権利を主張された日には他の業界は壊滅状態になるのではないかと思われます。特に大手弱電メーカーは、これまでの営業主体のなあなあな特許戦略から、特許の収支をプラスにする方針に転換しており、関連業界は戦々恐々として・・いないんだよなあ。特許にそれほど敏感でない会社が多いし、ここ何年来常識と思ってやってきたことが突然特許侵害と言われるんですから。
日本の特許は出願してから権利になるまで5年以上かかるのが常ですので、特許侵害と言われる時から5年以上前からやってないと万歳するしかありません。幸い出願日より前から行ってきたことなら、先使用権というものを主張して、うちのはあんたの特許出願より前からやっていることだから、このままできるんだ。と主張することができますが、この証明がとんでもなく面倒くさく、無駄な時間と経費を大量にかけなくてはなりません。
このような事態を避けるため、常日頃から技術資料、取扱説明書、出荷指示票などの整備を続ける必要があります。また、特許はこまめに出願し、出願しないものでも社内資料として日付け管理することが好ましいといえます。
まあ、逆転の発想をすれば、大手のメーカーの最近の方針では、特許を使わせないということはほとんどなく、金さえ払えば特許の実施権をくれますから、特許はノーケアで、警告されたら金を支払うと行った方針でもいいと思います。この方がいらない神経や経費がかからずよい場合もあるでしょう。ただし、この時も中小のコンペチターの特許だけは注意しましょう。(1999.06.06)
従来の特許庁でも、審査の甘い審査官はいましたが、それほど目立ってはいませんでした。ところが最近は、あれよあれよとろくに調査審査を行っていない特許が成立しています。特許庁長官が、ハーモナイゼーションとかいって、米国にあわせて審査期間の短縮をはかっているためです。確かに今まで日本は、先進国最長の審査期間を要すると行ったありがたくない評価をいただいており、国際的立場を向上させるためには審査期間の短縮は不可避なことです。
しかし、審査期間の短縮とともに審査内容のレベル低下が発生しているようでは、とうてい納得できません。単に公から民へ審査費用の付け替えをしているだけなのですから。なぜなら、不十分な審査で成立した特許のために、関係者が異議申し立てや無効審判を行わなければならなくなるからです。特許出願件数はほぼ頭を打ったとはいえ多項性の採用が原因であり、作業時間は増加しているのに、審査官があまり増えないと言う現状を考えれば、手を抜かないと審査期間の短縮などできないのは自明ではありますが、今一歩審査官各位の特許に対する思い入れを強めて、十分な審査を行っていただきたく念ずる今日この頃です。
と言うように、少なくとも審査期間の短縮は動き始めています。早期審査を申請すると、米国並の3年での成立も夢でなく、これなら欧州各国には後ろ指を指されずにすみます。これからしばらくは、この審査の早期化がどのような影響を与え、これによって生じる弊害をどのように解決していくかを注意深く見守らなくてはならないと思います。
ちなみに、新聞雑誌では特許庁や大手企業の特許担当者のコメントとして、審査期間の短縮は好ましい事だと記載されていますが、特許を扱う現場サイドの本音が何処にも現れないことが不思議です。マスコミはもっぱらアウトプットにのみ重点を置き、途中経過には無関心なのか、それとも何も解らず記事を書いているとしか思えないような状態です。繰り返し愚痴を言うならば、審査品質の低下は、特許に調査用の分類をつける分類審査と実際に特許性の審査を行う実体審査の両方に現れてきており、憂慮しております。(1999.07.15)
日本の特許出願数は世界のトップであることはもとより、世界の1/3ぐらいを占めるほどです。この内、審査もされずに消えていく出願が数多くあるのですが、それでも審査件数はダントツトップで、それにも関わらず審査官の数は大したことが無いというのが現状です。
一人頭の審査件数は・・・データどこだっけ?失敬、忘れたので今度見つけたら載せます。まあ尋常な件数でなく、普通にやっていると不可能だと言うことくらいは認識して下さい。しかし審査期間の短縮を求められるわけですから、必然的にその対処方法としては、@手を抜く。A審査しなくてよくする。ぐらいしか考えられません。@は審査不十分での特許査定、Aは複数件まとめて面接審査(出願人との条件闘争)につながります。そして@もAもいい加減な審査による本来無効な特許の乱発につながります。
本来無効な特許の乱発は、係争事件における無効特許の件数増加につながっています。特許庁内の審判部ではこのような状況に危機感を覚え、「進歩性の審理の充実化について」という文書を発行しています。この文書についてのお話は次回にいたしますが、本来無効な特許が増えると、米国式に控訴辞さずの姿勢が必要なのかもしれません。もっとも米国でもすぐ法廷に持って行きはしますが、結局は和解で解決することが多いのですが・・・。
前回のお話で、審査の質が低下して、本来特許にならないものが特許となっているケースがあると論じました。その根拠を裁判の結果などに求めているわけですが、この話をするためには、現在のシステムを説明する必要があります。
特許は出願しただけでは何の役にも立ちません。審査請求と言って、特許庁の審査官に「特許として登録すべきか否か」の審査をお願いせねばなりません。そして審査の結果晴れて特許とするとなったら特許登録となります。しかし、その後半年間に異議申立期間というものがあり、他人が「その特許は登録となるべきものでない」といういちゃもんを付ける期間があります。自分に関係する特許出願は常に監視しておき、登録となったらすかさず異議申し立てを行うというのが、一人前の特許マンです。しかし、中小企業などではこのような体制はとれていませんし、分類審査官(特許出願はすべてその後の処置が行いやすいように、特許分類を付けられます。この分類を付ける人のことを分類審査官と言います。)のチョンボで全然畑違いの分類に分類付けされ、見落とされるものもあります。
見落とされた特許を巡り紛争が発生した場合、特許侵害と訴えられた人は、「何でこんなもんが特許になっとるねん」と文句を付けることができます。これが特許無効審判です(異議申し立てで負けても無効審判を起こせる)。そして特許無効審判で負けた場合には、審決取り消し訴訟という最後の手段に訴えることとなります。以上いくつか説明しましたが、大きな違いとして、異議申し立てと無効審判は、特許庁に「こういう資料があるから、審査官チョンボしとる。もう一回審査やってちょ。」という意味合いのものですが、審決取り消し訴訟は、裁判所に「無効審判の結果が納得できん。」というものであり、言っていく相手が異なります。
当然、異議申し立てと無効審判では、新たな資料が見つからない限り結論は似たり寄ったりの場合が多いですが、審決取り消し訴訟では、半分以上が特許庁の判断がひっくり返っているのが現状です。すなわち、特許となり、無効審判でも「特許性に問題はない」とされたもののうち、裁判に行ったものは半数以上が裁判所で「特許性なし」とされているのです。すなわち、特許性の判断基準が特許庁と裁判所で異なると言うことです。このため、特許庁の審判部は問題視しているのです。
もっとも、裁判に行くというのはかなり自信がある場合が多く、全ての無効審判案件が裁判に行くわけではないので、単純に半分以上がと言うのは誤りですが、かなり問題のある特許が成立しているとは言えます。
かく言う小生も微妙な案件に何度か遭遇していますが、確実に勝てるとは言えないような案件では、リスクを避けるため和解に持ち込んでいます。まあこれは小生の世話になっている企業の方針ですが、通常でも徹底して戦った場合の費用と、負けたときの被害に対し、和解の費用を天秤に掛け、併せて勝ち負けの確率を勘案してダメージの少ない方に方針決定するものでしょう。この和解作業というのも、間違って成立した特許でも発生するケースは多々あります。特許は審査の経過が全てオープンとなっているため、特許庁に申請すれば、時間と金は掛かりますが、入手することができます。経過を入手すれば、おかしな特許はたいてい分かります。審査が不十分であったり、審査官の指摘に対する反論と成立した特許の内容に整合性が取れていなかったりします。このような資料を見る度に「この審査官は信用できない」などとブラックリストを作ったりしています。
以上を総括して、「特許侵害」と訴えられても、ビビル必要はありません。まずはその特許の審査経過の書類を取り寄せましょう。それをじっくり読んでから、優秀な弁理士に相談しましょう。(無能な弁理士もいるので注意)そして、その特許が本当に特許として有効なのか、または本当は無効なのか掴みましょう。(たいていはその中間)あとはあなたの決断次第です。Good
lack!
米国のような、ビジネスモデルまで特許として認めたり、現在では当たり前な技術を突然特許として認めるような、ひどいことはありませんが、産業の振興を目的としていたはずの特許制度が、産業振興の足かせになっているような感じがして、複雑な心境であります。
次回はビジネスモデルの特許について考察します。(1999.11.24)
特許に関わる最近の大きな話題は、遺伝子特許とビジネスモデル特許でしょう。一寸前までは世界的なハーモナイゼーションが重要課題だったのですが、いつの間にか上記2点の方が注目を浴びるようになっていますし、実際企業活動を続ける上で重要になってきています。
今回はビジネスモデル特許略してBM特許についての話です。とは言っても小生遺伝子特許には何ら関係したことが無く、遺伝子特許のお話はここでは扱うつもりないですが・・・(^_^;
BM特許とは、簡単に言えば「コンピューターなどの情報システムを使って実現したビジネスの仕組みに関する特許」と言えます。実際は情報システムを使わなくても該当するものがあるかもしれませんが、現状小生の陳腐な頭脳では思い浮かばないので、以下では、情報システムに限定してお話しします。
BM特許は、もともとデリバティブと呼ばれるものなどの金融関係の情報処理技術に関して許可されたのが走りで、その後コンピュータネット上の様々な商取引、電子決済などの技術に広がっています。BM特許とは、あくまで商取引方法のアイデアであり、これまでも人と人が対面して同じようなことを行ってきたものが多く、それをコンピュータでできるようにしただけで、なぜ特許性があるのか?との疑問も各方面から出されています。通常の特許を考えた場合、人が行っていたことを機械やコンピュータに置き換えただけでは特許性なしと判断されます。これはBM特許に関しても当てはまります。しかし、人が行っていた商取引方法をそのままサイバー空間に持ち込め無いものがかなりあります。このそのまま持ち込めないものを、いかにして持ち込むかに特許が許可されていると言い替えることができます。ところが、この「いかにして持ち込むか」という問題の解答は、情報処理技術をかじっていれば、誰でも考えつくような内容なのです。結果として、最初にサイバー空間で新しい商取引方法を行うことを考えた人が、「いかにして持ち込むか」の解答を得られ特許を先に申請でき、特許を取得できるようになります。当たり前の話ですが、アイデアを思いついたら誰でもBM特許が出願できますし、過去に例がなければ特許が取得できます。言い換えればアイデアさえあれば技術的な発明は不要と言うことになりかねません。
すなわち、BM特許には以下の問題があります。一つには、従来の特許の定義である「自然法則を用いる」という項目にBM特許が該当しないこと。二つ目には技術力ではなく、単なるアイデアだけで特許が取得できてしまう、ということです。
ところが、米国ではこのBM特許が次々と成立しています。現在までは米国以外でBM特許が許可されたとは聞きませんが、サイバー空間で最も影響力のある米国で特許となれば他国も人ごとではなく、情報先進企業各社がBM特許出願を加速するとともに、
先進各国がBM特許のあり方について検討を進めています。ある企業では「これからは営業マンが発明者になる」と言っているくらいで、BM特許により発明の概念が大きく変わることとなります。「BM特許は米国が他国企業から収奪するための新たな政策」と言われていますが、現実問題として非難していても何もならず、負けずにBM特許出願するしか企業の生き残る道はないようです。(2000.01.10)
特許公報というものをご存じの方はこの世にどれくらいいるのか?かねがね興味を持っています。特許公報というのは、特許として認められたものを公にするために存在します。特許出願された後、特許庁から特許として認めて良いというお墨付きが出たものをペーパーで発行するわけです。これと類似のものとして、特許が出願されましたよ、ということを知らせるために発行される特許公開公報や登録実用新案公報などがあります。実はこららの公報類は、昔は本やペーパーで発行されていました。ところが紙で保管すると、保管場所だけでも馬鹿になりません(年間40万件以上の出願があるから、1件5ページでも200万ページになる)。そこでヘビーユーザー(多くの公報を必要とする企業または個人)はマイクロフィルムで公報を保管していたものです。この様な環境ですから、ヘビーユーザーまでいかない一般的な企業は、特許に付された分類番号や競合他社の名前、または発明の名称やキーワードで検索して、必要な公報のみをゲットしていたものです。
この必要な公報のみをゲットするときに強ーい味方となってくれていたのが公報コピーサービス会社です。噂では、数年前までは3〜4社が営業していたそうです。これらの企業は特許庁の発行する公報を全件購入し、ユーザーの注文に応じて注文公報をコピーして手間賃を収入源にしておりました。これらの企業は今でも存在するとは思いますが、近年の特許庁の電子化に伴い、経営環境はかなり悪化しております。
というのは、次の2点によります。先ず電子化に伴い公報の販売がCD-ROMとなり、発行コストが大幅に低下し、これに伴い公報価格が大幅に低下しました。このため、ユーザーによっては全件購入した方が安くなってしまうところも出てきました。この様なユーザーはもともと多くの公報コピーを公報コピーサービス会社に依頼していた得意客が多いのです。
もう1点必要公報数が少ないユーザーにとっては、特許庁の電子図書館が便利になっています。ここでは公報のイメージデーターをブラウザで見ることができます。見ることができると言うことは、そのデータを落とすこともできるというわけです。プアな公衆回線では、電話賃の方が公報コピー代より高く付くかもしれませんが、ぶっとい専用線を引いていればすぐ落とせますし、個人ユーザーであれば、テレほーだいタイムに落とせば痛くも痒くもないでしょう(もっとも自動で落とせないため、パソコンの前に釘付けになりますが)。
まあ、公報コピーサービス会社は大変でしょうが、公報を必要とするものにとってはいい時代が来たものだと思います。ちなみに特許庁のこのサービスは、他には米国ぐらいしかありません。
今回は米国と日本の特許庁の考え方の比較をホームページからしてみましょう。米国は世界で初めて特許情報をホームページ上で公開しました。日本も少し送れて公開を始めています。しかし、米国特許庁は一般にはテキストベースであり、文字情報は見ることも検索することも印刷することもできますが、公報という一般に販売されているフォーマットでは見るだけで印刷も保存もできません。たぶん著作権の主張か公報販売会社への配慮と思われますが、このために専用ソフトまで使っています。
これに対し日本特許庁は、見ることも印刷も保存も文字情報でも公報でも行えます。まさしく公報販売会社キラーです。しかも最近は米国やヨーロッパの特許公報まで見たり印刷したりできてしまいます。本国でデータをダウンロードできないのに日本でダウンロードできてしまうというのは不思議な感じです。一方検索については米国では明細書の全文検索が可能ですが、日本ではアブストラクトや請求範囲止まりです。米国の方がより検索機能を高めていると言えますが、これだけの検索機能があると、特許検索会社の業務妨害と言えなくもありません。ちなみに日本にはPATOLISという有名な有料検索サービスがあります。どちらが正しいかという論争をすれば尽きなくなりますが、ホームページの公報公開の姿勢だけでもこれだけスタンスが違うことが分かります。(2000.08.15)
元N化学のNAさんが会社を訴えたことで、最近職務発明に対する注目度が大幅にアップしています。では職務発明とはどんなものでしょうか?職務発明とは、会社の仕事を遂行しているときに考えついた発明や、仕事を遂行する上で仕事に関係して考えついた発明などを言います。要は仕事に関するものです。例えば自動車メーカーに勤務していて、自動車の構造や製造手段などの改良を考えれば職務発明になります。また、一歩踏み出して高速道路などの情報を自動車に送るシステムでも、少しは関連あるので職務発明とされると思います。しかし、休みの日に洗剤を入れないで洗濯する装置を発明しても職務発明にはなりません(ただし、仕事中に洗濯機のことを研究していたら職務発明とされる可能性があります)。では、職務発明だと、どういう扱いを受けるのでしょうか?一般的に会社が会社の費用で会社名義で特許を出願することとなります。発明者は一切費用負担がありません。一般的に自分で文章も図面も作成すれば、10万円超で出願できますが、特許事務所を通すと登録までに40万円はかかります。この費用を全て会社が負担するのです。しかし、その代わり会社は発明者に雀の涙程度の報奨金を支払うだけで、権利は会社のものとなります。法律では相当の代償を支払うことになっていますが、実際には出願時に数千円、登録となったらさらに数千円という会社が多いようです。それに加えて著しく会社の業績に寄与した場合には別途支払われることとなりますが、この金額は千差万別のようです。ほんの数万円でお茶を濁すところから、売り上げ貢献実績に合わせる会社もあるようです。売り上げ実績に合わせた場合、年間数十万がコンスタントに得られるケースもあるそうです。今回のケースでは、会社側はいくらか一時金を支払ったそうですが、この金額が到底発明の貢献度に則していないと言う主張です。ではこの様な係争に巻き込まれないためには一体どれくらい支払うのがリーズナブルなのでしょうか?小生の考えとしては出願と登録に数千円で、後は売り上げ実績にリンクさせるのが一番トラブルが小さいと思います。発明ごとに製品に寄与する比率を決め、これに台数を掛けて報奨金を算出するのです。あってもなくても良いような発明には寄与率を小さく設定し、重要な発明には寄与率を大きく設定します。また、販売台数が多い商品と少ない商品では多い商品ほど率は小さくしなくてはなりません。特許の実施料は装置であれば3%程度、半導体などはコンマ数%程度らしいので、その辺から決めればよいでしょう。他社から導入した場合の何分の一程度の報奨金が妥当だと思います。
政府は研究開発の成果を特許などで適切に保護して産業の国際競争力強化に結びつけるため、6月を目途に官民をあげて取り組む課題などを盛り込んだ「知的財産戦略大綱」(仮称)をまとめる方針を固めた。政府は「世界有数の知的財産立国」を目指す方針。−以上日経より抜粋
知的財産を取り巻く状況が最近頓にきな臭い。世間では研究開発の意欲を維持するため、模倣品の排除のため知的財産権の運用強化が必要との合唱である。さて、そこで冷静に考えてみよう。現在の知的財産権の強化は知的財産権発祥の精神から逸脱していないのか?
先ずは特許、実用新案から考えよう。
特許法は発明を奨励し、これによって産業の発達に寄与する事を目的としており、発明の保護と発明の利用を目的としている。言い換えると特許法は、発明者に独占権を付与するが、その代わり発明を公開、実施して、公衆に発明利用の道を提供する義務を課すものであり、一方公衆には発明利用の機会を与えるが、一定期間発明を模倣し実施しない義務を課すものである。−特許法概説(有斐閣)より抜粋
昔は新しいものを考えついたり作ったりしても、直ぐに真似されてしまうので、外から分からないブラックボックス化していました。でもこれでは技術が個人に留まり技術革新のスピードが上がりません。しかも直ぐ真似できるようなものなら開発するより真似した方が良いので、開発が停滞してしまいます。ぶっちゃけた話、特許はこのような閉塞した状況を打破するために発明されたもの(近年のビジネス特許の用件は十分満たしていると思います)で、何か新しいものを思いついたら皆がそれを参考にできるように皆に公開しなさい。その代わり一定期間の私的独占権を与えます。といったものが始まりのはずです。
ところが最近は発明の保護の側面ばかりが強化されて、当初の理念から遊離してきたように思われます。発明と見なされる技術レベルが徐々に下がってきて、誰でも考えつくものでもこの世にまだないものは全て特許として成立する風潮があります。極めつけはビジネス特許であり、これは単なるアイデアが勝負であり、産業発展に寄与するようなものはほとんどないと思われるのですが。。。
思い起こせばプロパテントとか言う特許強化の流れは、第2次産業で日本が米国を逆転しだしたころ、米国で生まれたものである。すなわち、米国で生まれたアイデアを利用して日本が強力な産業を生み出している。米国の研究開発は日本のために行っているのか?米国の知的財産を守らなくてはいけない。と。日本の技術ただ乗り論とかが当時語られました。研究開発の先頭を走っている米国にすれば当然の話で、大金を投じて研究しても米国では開発能力がない。放置しておくとその研究成果を利用して日本が製品開発するのですから、その苛立ちは容易に想像できます。今米国の苛立ちは日本から韓国中国などへと移っていますが、基本的な発想は同じであり、なおさら特許権の強化が必要となるのです。翻って日本です。日本でも近年は米国に後一歩まで近づいており、研究開発も盛んにしております。しかし為替レートの問題もありコスト競争力は大幅に低下しています。ここで中国韓国などの東南アジア諸国が模倣品を量産して日本の商権を脅かしています。当然日本としても米国同様の事をしないと国際舞台から退場を余儀なくされます。日本は米国への対抗措置だけでなく東南アジアへの牽制のためにもプロパテントに移行しなくてはならないわけです。
ここまで読んできた皆様の中で勘のいい人はもうお分かりだと思いますが、今の特許強化はあくまで研究開発で先行している国が、特許の理念の私的独占だけを突出させて強化しているのが現状で、その目的はコスト競争力の低下を特許権という名の基の先行者利益で補おうとしているものです。結論として特許成立のハードルはますます低下し、ろくでもない特許が蔓延するようになります。国の目的は特許権を使って中進国との競争力確保にあるわけですから国内の混乱は見て見ぬ振りです。国内の企業は大手を除き、ろくでもない特許にどう対処するかで右往左往するわけです。
米国のプロパテントは、見方を変えるとビル・トッテン氏の言うように、米国が日本に戦争を吹っ掛けてきているとも言えます。米国は金融の面でも情報ITの分野でも日本や世界に対し戦争を起こしているのです。そしてこの戦争に勝利することにより国力を維持できていると言えるでしょう。今回の「知的財産戦略大綱」は米国の宣戦布告に対する回答(かなり対応が遅れてますが)であるとともに、東南アジア各国に対する日本からの宣戦布告とも言えます。特許の世界はますますトゲトゲしたものになり、研究開発や製品開発とはまったく別次元で特許戦争(冷戦ですが)が繰り広げられることとなるでしょう。特許に携わるものとして、そのような事態は極めて憂慮すべき事と思います。
(2002.3.27)