北陸地方の句集

Hokuriku-tihou no Kusyu-

石川県(加賀)

俳句に関した写真をご紹介します。
それぞれの写真をクリックすると大きく表示されます。

写真俳 句説    明撮影 箇所
願念寺 塚も動け我泣く声は秋の風  芭蕉が金沢で是非会いたかった人に一笑(いっしょう)がいた。一年前 にこの世を去ったと聞き、その追善に赴いた折、秋風に吹かれている塚よ、 私の深い哀悼の気持ちを汲み取り、この気持に木霊して塚も動いてほしいと うたった。  石川県金沢市野町一丁目 願念寺
願念寺 秋涼し手毎にむけや瓜茄子  一笑の追善 ひんやりと涼しい風が吹いてくる。このもぎたての 瓜や茄子をめいめいに皮でもむいて気楽にご馳走になろう。と歌われているが 当時、瓜や茄子は供養に使われたらしく、今でも金沢では盂蘭盆 (うらぼん)の墓に供えられると聞く。  石川県金沢市野町一丁目 願念寺
兼六園 あかあかと日は難面もあきの風  日があかあかと照っているが実はもう秋なのだ。さわやかな風が 吹いている。当初、芭蕉はあきの山と詠んだ時、北枝が「山」ではなく「風」 だと言ったのを聞いて、さればこそ金城に北枝(ほくし)ありと賞賛した。 石碑は成学寺境内、犀川畔と兼六園内にある。これが金沢での最後の句となる。  石川県金沢市 兼六園
建聖寺 しほらしき名や小松吹萩すすき  一笑の追善 小松とは、何とかわいらし名前であろう。地名も同じ 小松の野に吹き渡る秋風に萩や薄もやさしく揺れ、ひとしを風情が ある。  石川県小松市寺町 建聖寺
多田神社 むざんやな甲の下乃きりぎりす  斎藤別当真盛(さねもり)が白髪を染めこの兜をかぶって戦ったが討たれた。 その兜の下で哀れにもキリギリス(今のコオロギ)が鳴いている。義仲は、二歳 (駒王丸)の時、実盛の計らいで命拾いをしている。実盛は、それが今、皮肉にも 義仲の家来に殺されるのだ。その義仲も上洛し、征夷大将軍となったが後白河法皇 の御所を焼討ちし乱暴をはたらいたかどで、従兄弟の頼朝に征伐され近江で 敗死する。  石川県小松市上本折町 多太神社
那谷寺 石山の石より白し秋の風  那谷寺詣、那谷寺の石は、近江の石山寺の石山よりも白いと言われて いるが、今吹いている秋風は那谷寺の石山よりも白(秋の風を白と言う) く感じられる。  石川県小松市那谷町 那谷寺
鶴仙渓 山中や菊はたおらぬ湯の匂  貞室 この山中の湯に浴しておれば、あの菊慈童(太平記 皇帝の御枕を 踏み越え、周よりここに召使わされた童子が妙文を菊の葉に書き写し、葉の露 が滴り落ちそれが不老不死の薬となった故事)のように菊を手折る 必要はない。あたりは霊効のある湯の香りで満ちみちているのだから。  石川県山中町 鶴仙渓
あやとり橋 今日よりや書付消さん笠の露  旅の門出に当たって笠の裏に「同行二人」と書いていたが今日からは 一人旅、笠に置いた露でその書付を消さなければならないな。「乾坤無住、同行 二人」天地との間に住む家が無い、即ち出家の意味。  石川県山中町 曽良との別れ あやとり橋(こうろぎ橋の下流)
全昌寺 庭掃て出ばや寺に散柳 禅道 当時、禅寺に一宿したものは、寝所や庭を掃除して出るのが礼儀で あった。  石川県加賀市大聖寺 全昌寺
ホームページ 紹介 行程図 新潟 富山 津幡 福井 あとがき