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■長楽寺跡
 
昭和38年(1963)5月10日津幡町文化財指定(史跡)
 養老2年(718)印度の善無畏三蔵がこの地に巡錫(僧が各地を巡って教化すること)し、元正天皇の許しを得て、本尊・倶利迦羅不動明王を勧請(神仏の霊をむかえて祭ること)したのが長楽寺の起りだと伝えられる。また、弘仁3年(812)弘法大師が当寺にとどまり、七堂伽藍を建てて布教に与えられたという。寿永2年(1183)源平の戦いの時、兵火にあい焼失した。その後、源頼朝の寄進によって再興され、慶長年間(1596〜1615)、加賀藩の祈檮所となり、堂塔の再建や寺領が寄進されるなど復興が続けられてきたが、天保7年(1836)門前の茶屋から出火し、山門・不動堂が焼失した。
 再建されないまま明治維新を迎え、神仏分離により長楽寺を廃して手向神社となった。
 昭和24年(1949)高野山・金山大僧正などの尽力により、全国の宗教道場として、この長楽寺跡に堂宇が建てられ、現在不動寺が法燈を継承している。